壮大な仮説①にて、少なくとも、松尾大社と伏見稲荷大社の建立に関わった秦氏のルーツは国津神ということをお伝えしました。


大年神も宇迦之御魂神も稲作の神様で、大山咋神は米と山から得る水で作られるお酒の神様です。


このことは、秦氏の祖先としてお祀りされる神様が古代に日本に稲作を伝来し、さらには加工技術を伝えた事を示しています。




300年頃入ってきた秦氏はその名の通りハタモノを伝来しました。交野の機物神社には機織り機が飾られており、その地域で機織が盛んだったことを示しています。また、秦氏が果たした大きな役目には治水工事もありました。

治水工事を土木工事と一言にくくると力仕事のような想像をしますが、機械もなく、人力も限られる時代の話です。

山のこと、土地のこと、地形、水脈を熟知しているからこそ、成らせる技と言えます。







秦氏から伝来した数々の技術を思い返すと、古代に同じ技術を持った氏族として、加茂氏を外すことはできません。鉄の技術を持ち、鉄を使って稲光を活用し土壌を変え、豊かな水田を作り上げた農業のプロ。

加茂氏といえば大国主大神と宗像大神の奥津島に坐される多岐都比売命との御子、味耜高彦根神、下照姫です。





さて、仮説を練るための大きな要素は見えてきました。

ここからは、もう少し下地を整えるために、古事記をたぐります。

そうすると、どうしても国生み神話まで遡ることになりました。


日本にどのように人々がやってきて、どのように結びつき、国造りを進めたのか。

ここからは、少しずつ丁寧になぞりたいと思います。


続く。。。(長くなるので不定期に。。)