古事記と日本書紀の大きな違いは、編者と私は思っています。
そんなの当たり前??
そうなんですけど、なんというかですね
猿人類VS新人類、んー、現地人VS渡来人
的な感じの違いなんです。
作られた趣旨、目的も違うのはもちろんですが
やはり古事記の最大の魅力は、太安萬侶が稗田阿礼の口伝を書にした、というアナログ感と、物語要素が強い所。
口伝だからこそ、ドラマチックな展開も入り込みますし、その先は特に聞いてない。みたいになれば、当然にぶつ切りにもなる。
このお二人に託されたのは、単に文字がかけるとか、記憶力がいい、という理由だけではなくて、お二人のルーツによるものが大きいと思います。
太は意宇、稗田は猿女。
意宇と言えば出雲。同じ「オウ」で有名人といえば、大神神社の祭祀者大田田根子氏です。
大物主の血縁を持つ子孫。
猿女といえば伊勢です。猿女は天之鈿女命の子孫の証。大和政権樹立前に、天孫降臨をされた神々からのルーツですから、歴史は深い。
太安萬侶と稗田阿礼について、系譜を追うことまではしていませんが、このお二人のバックに猿田彦大神と天之鈿女命を感じずにはいられません。
一方の日本書紀は、藤原不比等が大きく関わっておりまして。。漢文で書かれているので外交のために作られた国史本と言われています。
藤原は(中大兄皇子)と中臣鎌足が蘇我氏を排除し、更に蘇我氏の血縁を得たことで得た名であり、地位だと言います。
中臣の祖は天児屋根命とされていますが、おそらく、その血の濃さは本来、葛城のほうが濃いのでは?と私は考えています。(すみません、完全に感覚的で、なんちゃって論に近いですが。。葛城の祖の唐突さとか、崇峻天皇のことを含め、色々と思うところがあります。これはまた深めていきます。)
鎌足の手腕はしっかり不比等に受け継がれ、藤原の地位は盤石化し、一気に国政の中心に腰を据えました。
それに反比例して、元々の名だたる氏族達が次々に没落していくのです。
そのような時代に出来上がったのが日本書紀。
更にもう少しの時を経て、藤原の隆盛時代を象徴するかのような春日大社の建立年は768年といいますから、とにかく、藤原家の凄さを形にしたかったんだろうなぁ、と、しみじみ思います。
このような状況の中で起きる、中臣、藤原びいき。
伝統的な役割の変化、歴史が軽んじられていく事を耐えかね、不満が存分に語られた古語拾遺は天太玉命を祖とする忌部氏により書かれたものですが、当時の背景がよくよく見えてきて本当に興味深いです。
大分と前置きが長くなってしまいましたが。。
実は、こういう思いを寄せたきっかけは、「うた恋い」という漫画を読んだ事にあります。
4巻の終わりの語りを読んで、私の中にあった古事記に寄せる思いと藤原氏に対する思いが(笑)抑えきれなくなったのです。
少し抜粋
遠い昔、
衰亡を逃れることができなかった諸氏族の和歌は
それぞれが確かに存在し、
生き抜いたということを
今は1枚の札となって私達に訴えかける。。
ほぉ~。。。(ため息)
私の鼓動がマックスに高まるラストでした。
是非沢山の方に読んで頂きたい。
丁未の乱で最大勢力の物部が追われ、大化の改新で、蘇我氏は没落。混迷する大和国で壬申の乱を経て天武天皇が即位して、命じたのが古事記の編纂。
天武天皇は、この先、ルーツが全く分からなくなる前に、遺す必要がある。と考えたのではないでしょうか。国内向けに作られているとか言われるのもそのへんの所以に感じます。
そういう大きな勢力の転換期が、いよいよ盤石化していき、身分云々に一喜一憂の時代がやってきた。
それほどまでに文化が進み、人々の生活に華やかさが増してくると、当然に、歪み苦しみも増えていったのだと思います。
雅さと侘しさを
せめて和歌の中でだけは。。と思いを込めて
歌人たちは楽しんだ。
そうして生まれた百人一首。
私は、正直、今まで和歌に思いを寄せることはなかったのですが、
うた恋いは、歌人たちの思いを超訳して、しかも漫画で、素敵に語りかけてくださいました。
山辺の道や竜田古道を歩くたびに、和歌が面白く感じられたらもっとこの道は楽しいだろうにと思っていただけに、凄くありがたいです。
1200年以上前の生の声。
個々の思い思いの証。
すごいですね。ずっと残りましたよ。
歌人の皆様。
とても羨ましいような。
でも、中には。。
いやー!(叫び)その恋は忘れたいから!!もう、なかったことにしたいからー!やめて〜っっ!!
なんてこともあるかもしれない。(笑)
そう思うと、和歌がぐっと近く感じます。
ちなみに私、平安時代の女性の皆さまと同じく在原業平公の事が大好きです。
昨日は満月でございました。