今年の締めに、やはり、月読尊の話も盛り込みたく。。久々の【これはあくまで私見です的な】神話考察です。


前回までのブログでは、素盞嗚尊の高天原追放まで書きました。


ここから先は、高天原から豊葦原の中つ国へと話が移り、素盞嗚尊の八岐の大蛇エピソードへと続きます。


この【八岐の大蛇】は何者か?というのには諸説あります。

川の氾濫、住み着いていた山賊、等々どれも説得力がある感じです。


でもやはり大蛇の尻尾から天叢雲剣が出てくることから、素盞嗚尊が天照大御神とゆかりの深い神宝を賊から奪い返したというほうが私にはかなりしっくりきます。


で、やっぱり、じゃあ元々天叢雲剣は誰が持っていたか?となると、これまで出番のない月読尊だろう、というのがわたしの仮説です。


これには2つ、理由があります。


①因幡の白うさぎについて

白兎神社のホームページでは、因幡の白うさぎの元となった話を考察として触れています。

ワニと呼ばれた賊から一族を守るために戦った武神がいた、ということ、その一族は海流が読めたこと、何より武神の守りたかった一族は戦いを好まない優しい民族であったこと。

少なくとも、武神の守った一族について、八岐の大蛇の舞台となる地域に生活圏があったことが分かります。その上で、この武神が白兎として祀られていることは見逃せません。


また、この話を読むと、同じように争いを好まず、月暦を読み、農業を発展させ、鉄の技術をも持っていた奈良県の御を本拠地とする迦毛一族を思わずにはいられないことも加えておきます。



②白兎神社の御祭神

白兎神社の御祭神は

白兎神と保食神と豊玉姫命です。





さて、この組み合わせ、不思議ではないでしょうか。

なぜ保食神様が坐されるのか?

これについての考察は以前のブログで。。



あと、八上比売神ではなく、豊玉姫命が登場されるのも感慨深いですね。


こうしてふりかえれば、色んな疑問が浮かびます。


兎はなぜ大国主大神の神使なのか。 

なぜ月に兎を連想するのか。

月に団子をお供えするのは何故なのか。


神話からその痕跡が消されているのに、考えてみれば、日本人は間違いなく細胞レベルで月読尊を知っていることに、気付かされるのです。


話を戻します。
たまたま八岐の大蛇との戦いで出てきたという天叢雲剣は、その後日本の三種の神器という事実から、その発見がとんでもない出来事だった事が分かります。
何より興味深いのは、天叢雲剣は戦う為の剣ではなく、厄災を振り払う剣という点。一面の焼け野原を一瞬にして消し払ってしまう力を持つのです。
それは、人技によらない魂(匕)の力。
ヒの継承者の証と思われ、だからこそ、天照大御神に返上する必要があり、元々の所有者が誰だったのかは非常に重要な意味を持つと考えます。

一方で、素盞嗚尊が八岐の大蛇を倒して、天叢雲剣を取り返し、天照大御神に献上するシーンにも、かなり深い意味があると思っていまして、この時に素盞嗚尊は、天照大御神から豊葦原の中つ国を治めるための神託を受けたと思っています。
その証を比喩したものが天詔琴で、素盞嗚尊の権威の証になった(八十神に対して大きな影響力を持てた)と思うのです。

天詔琴とはつまり何かと言えば、和歌と考えました。
和歌の挿入があるタイミングは、八岐の大蛇退治を終え、高天原から戻って以降、国譲り前までとなり、いずれも大きな出来事を語るからです。

①素盞嗚尊の和歌
八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 
八重垣作る その八重垣を

素盞嗚尊が八岐の大蛇退治を終え、妻を籠もらせるための住まいを出雲の須賀に定めた時の和歌です。
 
②下照比賣の夷振(ひなぶり)
天なるや 弟棚機の 項がせる 玉の御統 御統に 穴玉はや み谷 二渡らす 阿治志貴高 日子根の神ぞ

月読尊の血脈を連想させ、迦毛の祖とされる味耜高彦根神が強い光を放っていることを表現し、その存在を示した歌とされ、かなり重要な意味を備えた和歌とされます。

そして、今、夷振を改めて見て、気づいたことがあります。

神名には〜比古、〜比賣と男女別を表す言葉がつきますが
味耜高彦根神の呼称は〜日子【根】とされています。

この下照比売神の夷振、普通に考えれば
味耜高日子 根の神ぞ
ではないのでしょうか。

根の国といえば素盞嗚尊が治めている国です。
ところが、

味耜高日子 根の神ぞ

としたならば、
味耜高彦根神はその根の国の神であり、
更に、アジスキタカヒコのヒを「日」と示していることから匕の継承者であると示していると思えます。

味耜高彦根神の妹、下照比賣の夫は高天原から派遣された天若日子です。裏切り者とされているので、名前を簡易にされていますが、高天原が国を取ってこいと神宝を託し派遣する代表者ですから、実はかなり凄い御方です。

高天原に対して反意があるとされ、返矢に当たり命を落としたことから、天津神々と下照比売が悲しみに暮れる葬儀の様子が描かれる事からも、天若日子が特別なご存在であることが分かります。

この葬儀の場で、天津神々から天若日子と味耜高彦根神がそっくりだ、と言われたことに腹を立て、味耜高彦根神は天若日子の喪屋を切り倒した上蹴り飛ばすわけですが、いくら腹が立とうと、その行為は常軌を逸しています。

しかしながら、この行為が、天照大御神(高天原)との主従関係を断ち、独立した国造りを押し進めるという決意を表し、下照比売の夷振がそれを報せるものだと考えればどうでしょう。

次の段から、高天原側が武力を盾に交渉を行い、強硬手段で国譲りとなるのも、なるほどなぁ、の展開に思えます。

神話で月読尊のご存在がほぼ登場しないにも関わらず、その血脈の連想を起こさせる迦毛一族が、時代を大きく揺るがそうとしている展開(あくまで私見です。)に胸が熱くなってきました。

何故、神話に月読尊が登場しないのか、いや、できないのか、そのへんの理由や、その後の歴史で何かと悲しい末路となる迦毛系一族の根幹にもリンクしそうに感じます。

本当に日本神話は面白い。
大分となんちゃって感は否めませんが(笑)皆さんが神社で御由緒にふれることがありましたら、是非こんな感じで少し妄想を膨らませてみて下さい。

神話に込められた現代へと繋がる魂たちにきっと出逢えると思います。