はじまりの始まり


無限の宇宙の中で、何かが生まれました。(ビッグバン)

それが天之御中主神。地球の核となる神様。

それからガスのような世界が少しずつ形になっていって、次々と何かが生まれて、それぞれが神様になって

地球という星になりました。

まだ、奇跡しかない世界。


星には大地が生まれ、海が生まれ、微生物が生まれて次々と形をなしていきました。

そうした誕生が続く中で、生まれた伊邪那美神と伊邪那岐神は性を別にした二神でした。


この二神がまだふわふわしている地球に降り立ち、

こおろこおろ、と天沼矛をかき混ぜます。

初めての共同作業。


二神はそれぞれの体の違いに気づき、片方では足りなかったり多かったりするから、互いに補おうと考えた結果、体を合わせることにしました。

こうして結ばれたことで、沢山の子宝に恵まれていくわけですが、初めに生んだ子供は形にならず「失敗」してしまいます。


ちなみに、はじめの失敗の原因は、伊邪那美神から伊邪那岐神へ声をかけたからとしています。


人によっては男尊女卑思想と捉える人もいるでしょうが、どうでしょう?事には順序がありますよ。順序を間違えると、思わぬ悲しみになることがありますよという、ある意味道徳的で、人との向き合い方を説いているイメージで捉えたほうがいい気がします。


話は戻って、

二神が結ばれたことで、

八島が生まれ、木々、山、野、土、岩等々がうみだされ、そのうちに、粘土も生まれました。人々の生活の中で器を作る技術ができたことが伺えますね。この時既に呪術的なものが生まれているというのも興味深いです。

更に、国生みは続いていきますが、生み出した火(火之迦具土神)は伊邪那美神に大やけどを負わせる致命傷を与えます。


ここから、物語が大きく展開します。

火はよくも悪くも人々の生活を大きく変えたのです。

火傷で苦しむ伊邪那美神からは、様々な文化が生まれます。金山毘古神の誕生は、火を使い鉄を作る技術が生まれたことが垣間見えます。文明の急速な発展です。火を得て、生活が向上した一方で、その根底には常に大きな代償や苦しみがあることを教えてくれています。


地獄のように苦しみ続けたまま、伊邪那美神の命がつきます。


今度は伊邪那岐神が悲しみ苦しみます。

それから先は、人の感情の恐ろしさ、愚かしさが大きく描かれます。


伊邪那美神の命を奪った火之迦具土神は切り裂かれてしまいました。それでも伊邪那岐神の怒り、苦しみ、悲しみは収まらず、国土には風が吹きあれ雨は滝のように降り注ぎます。

何もかもが無となる世界。

現代で言うならば大災害が起きた状況です。


怒、恐、苦、悲、痛、、渦巻いて止む気配がありません。負の感情ほど増幅する力は早くて強い。


感情の欲するままに、伊邪那岐神は黄泉へと伊邪那美神を連れ戻しに行きます。あるいは、この時、現が黄泉そのものに変わっていた可能性もあります。


また一緒に国造りをしたい。

伊邪那美神に再び会えた伊邪那岐神の思いと焦り。


故に、伊邪那美神に覗くなと言われたにも関わらず、伊邪那岐神は伊邪那美神の姿を見てしまいます。


そこで知る現実は残酷です。

黄泉へわたった伊邪那美神の姿は黄泉の食べ物を食べて、もうかつて伊邪那岐神が知っていた姿ではありませんでした。


激しく後悔して、猛ダッシュで逃げ出す伊邪那岐神。その身勝手さに憤る伊邪那美神の攻撃は凄まじく、おどろおどろしい化け物たちが次々と襲いかかります。


死という事実を受け入れなければ、自らが死に引きずり込まれる。不慮な出来事であったとしても、特別はない。変わらない死の理。


ちなみに伊邪那岐神はこの窮地を、桃を投げて逃げ切りました。

文章を作った時代の知識や参考にした文献にも当然に影響されているでしょうが、桃の登場は薬という概念が生まれたことを示していると私は感じています。


こうして、伊邪那岐神は命からがら、やっとの思いで逃げ切り、岩で穴を塞ぎ、黄泉と現に隔たりを作りました。

でも、伊邪那美神の怒りは収まりません。

黄泉の国から声が届きます。


1日千人を殺してやる


それを聞いて、伊邪那岐神も応答します。

1日千五百人を生んでやる


なんと、人口増減の理が夫婦喧嘩で決まるという(笑)

まぁ、国を生み、人々の生活、更には文化の礎を作った夫婦ですから。

なにはともあれ、離別の話し合いはこれで決着です。


お互いを補い合うため結ばれ一つであった神様が、

死を経て、単身となってしまいました。現に残った伊邪那岐神は黄泉で被った穢を禊ぎます。


自らが無とした世界に再び息吹を吹き込むために、穢を注いで、新たな気持ちで神々を生み出します。


住吉三神、天照大御神、月夜見尊、素盞嗚尊


ヒノモトノクニのリーダー誕生です。

豊葦原の瑞穂の国を創生する一歩。

そして、伊邪那岐のお仕事もここまでとなりました。


余談となりますが

島根の佐太神社にて、伊邪那美神をお祀りする母儀人基社を参拝しました。


少し、、というか実はだいぶ不思議に感じていることがあります。佐太神社は猿田彦大神を祭神とする神社です。神話で言えば、猿田彦大神と伊邪那美神は接点がありません。

というか、猿田彦大神と島根の接点も謎です。


それでも強い結びつきがあったことは、その土地の信仰の深さでわかります。

猿田彦大神は間違いなく、ここ島根にいたのです。


そして、伊邪那岐神はおらず伊邪那美神だけがここに祀られているという理由も、理屈ではなくそうだろうと思うのです。


なぜなら。。

境内社と言うには存在感がすごすぎます。




根拠はなく、感覚的な仮説ですが、
伊邪那岐神と伊邪那美神の生んだ三兄弟の末っ子素盞嗚尊=猿田彦大神???と思っています。
猿田彦とは、幼名名的なものだったのかな?という。

これは以前に大国主の話題で書きましたが、私は、ビッグネームは基本、継承制と思ってまして、

大国主大神
素盞嗚尊→大己貴神→饒速日尊→猿田彦大神(高倉下命?)

天照大御神
櫛名田比売→八上姫(宗像三女神)→下照姫(須勢理姫)→天之鈿女命(三穂津屋比賣)

こんな感じで、少なくとも4代はあったと考えています。

素盞嗚尊以降は、大国主大神の子供、もしくは継承者を猿田彦大神としていたのではないか?
天照大御神も、同じように天鈿女命が幼名だったのではないか?と思っています。天鈿女命の子孫が「猿女」とされた点も興味深いですね。

継承者と考える理由としては、古代にとっての名前は役割そのものだっただろうと思うからです。
王、とか皇帝とか、仰々しい名前は、はっきり言って他所もの、渡来言葉であって、
大国主大神=国を守る人
天照大御神=天と繋がれる人(シャーマン)
と呼んでいたとしたほうが、私にはかなりしっくりくるし、時系列的な謎も溶ける気がします。

閑話休題
素盞嗚尊=猿田彦大神(素盞嗚尊の幼名)とすれば、

伊邪那岐神はひとり親でを育てるわけですが、素盞嗚尊がとにかく言う事を聞きません。
お母さんに会いたいと泣きじゃくる訳です。

この時時点ではまだ伊予の国の話で、お母さんに会いたいと言ったことで勘当されて、そんなに言うなら行って来い。と伊邪那岐神に言われて向かった先が島根だったのでは?という仮説です。

併せて言えば、
島根へは船で向かったと考えられ、
向かう途中、九州を経由して向かった可能性は高く、そうすれば高天原の位置が九州で、猿田彦大神が瓊瓊杵尊を導いた理由も分かる気がします。

そう考えると、島根の神魂神社の意味合いも、一気に深まる感覚もあります。




神話の世界は、知れば知るほど、妄想とか思想ではなく事実の繫がりなんだと私は感じています。


皆さんはどう感じましたでしょう。


日本神話を楽しく感じていただけたら嬉しいです。


さて、今回のリーディング練習



今日は日本の神話タロット極伍を使いました。

フムフム。
迷うな、進め。と出ました。(笑)
ていうかいいカードしか出なくてビビりました。

このざっくり感。。
とても商売に成り立つような気持ちはありませんが、
何かで沢山の人に伝えていきたいなと思う今日このごろです。