「私ばっかり…」
昔の私は、心の中でこの言葉を
何度もつぶやいていました。
 


 

営業事務の仕事をしていた頃。 ​ 
残業しても仕事が終わらない日が続いていた中で、 ​ 
ある日また、新しい業務を当然のように振られたんです。


私は顔に出ていたと思う。 ​ 
「もう無理なんですけど…」って思ったけど、言えなかった。

 ㅤ
「文句を言っても、どうせ変わらない」 ​ 
「上司に言っても意味ないし」 ​ 
そうやって、黙って我慢するのが癖になっていました。


実際、何度か掛け合ったこともあります。 ​ 
でもそのたびに「今はみんな大変だから」なんて流されて、 ​ 
状況は何も変わらなかった。

 
そのうち、何も言わなくなりました。 ​ 
悔しさと、無力感だけが残りました。


一番しんどかったのは、 ​ 
そんな状態を受け入れちゃってる自分に気づいた瞬間です。

 
あの頃の私は、 ​ 
「頑張ってるのに報われない」って思ってたけど、 ​ 
本当は「頼り方がわからないだけ」だったのかもしれません。

 ㅤ
そしてあるとき、 ​ 
私は職場の外に目を向けてみました。


このままの毎日を一生繰り返すなんて、無理だと思ったからです。

 
その中で出会ったのが、 ​ 
「自分が二番でいい。相手を一番にする」 ​ 
という利他の価値観でした。


びっくりしました。 ​ 
今まで、「誰かのために動く」=損することだと思ってたから。


でもその人たちは違いました。


誰かのために動いてるのに、苦しそうじゃない。 ​ 
むしろ、自分の軸でちゃんと立ってる感じがしたんです。


私の中の「当たり前」が崩れていくのを感じました。


我慢することが強さじゃない。 ​ 
ちゃんと頼れること、甘えられること、 ​ 
そして「私ばっかり」にならない関係性の中で生きていくこと。


それが、本当の意味で自分を大事にすることなんだって ​ 
ようやく気づきました。


あなたにも、もし今「私ばっかり…」と思う瞬間があるなら、 ​ 
一度、いつもの世界の外に目を向けてみてほしいです。


ちょっと居心地が悪くても、 ​ 
その違和感の中にこそ“「あなたの人生を変える何か」があるかもしれません。


私はそこから、 ​ 
自分の人生を「選べる」ようになりました。


だから、あなたもきっと大丈夫。
 

最近どう?元気してる?


友だちからLINEでそう聞かれたとき、 ​ 
私はいつも「元気元気〜!
忙しいけど大丈夫☺️」って返してた。


……本当は、そうじゃない日もあったのに。


心配かけたくない。 ​ 
変に気を遣わせたくない。 ​ 
そしてなにより、弱ってる自分を見せたくない。


そんな気持ちが、 ​ 
「大丈夫!」の定型文を何度も打たせてた。
 

でもこの前、どうしても元気なフリをする気に
なれなかった日があって。


ふっと気が抜けたタイミングで、 ​ 
「うーん、実はけっこうしんどいかも」って、 ​ 
ほんの一言、正直に返してみた。


そしたら返ってきたのは ​ 
「そっか。無理しすぎないでね。 ​ 
あったかいスープでも送ろうか?笑」
って言葉。

 


涙が出るほど…とまではいかないけど、 ​ 
心がじんわりあたたかくなって、ちょっと笑えた。
ㅤㅤ

ああ、 ​ 
助けてって言うって、こんな感じでいいんだな。 ​ 
頼るって、もっと大げさなことかと思ってた。

 
SOSって、 ​ 
必死に叫ぶだけじゃない。



「ちょっとしんどいかも」って ​ 
言葉にしてみるだけで、 ​ 
ちゃんとつながることがあるんだって知った。

 

一人で生きてると、 ​ 
誰にも甘えてない自分が正解に思えてくるけど、 ​ 
ときどき、それはちょっと苦しい。


ほんのちょっと、弱音を出せたその日、 ​ 
私は自分のことをちょっとだけ
好きになれた気がした。


あなたにもありますか?


つい「大丈夫」って返しちゃうけど、 ​ 
本当は聞いてほしかった。 ​ 
そんな日。


無理にがんばらなくても、 ​ 
ちゃんとつながれる場所はあるんだと思います☺️

 

「頼る」って、 ​ 
もっと大きなことじゃないといけないと
思ってました。


できない人がすること。 ​ 
甘えること。 ​ 
なんとなく、そんなイメージがあって——



実は、つい最近まで ​ 
私はそうやって
「自分でやらなきゃ」に縛られてました。


ある日、買い物帰りに ​ 
自転車と荷物を抱えて
エレベーターに乗ったときのこと。

片手には買い物袋、
もう片方は自転車を支えていて、 ​ 
ボタンを押そうと思えば押せる。


でも、同乗していた方にぶつかりそうで、 ​ 
なんだか気まずくて
動けなかったんです。
 

「自分で押せるし…」 ​ 
「お願いするほどじゃないし…」


そうやって心の中でぐるぐる言い訳を繰り返して、 ​ 
結局、勇気を出して一言。


「すみません、4階、押してもらえますか?」 


その方は笑顔で「もちろんです」と押してくれて、 ​ 
それだけのことなのに、 ​ 
なんだか心がふっと軽くなりました。
ㅤㅤ

その瞬間、思ったんです。


「あれ?頼ってもよかったんだ」 ​ 
「なんだ、こんなに簡単なことだったんだ」って。


頼るって、 ​ 
できない人のための行為じゃなくて。
つながることなんだなって。


お願いすることで、 ​ 
相手との距離がほんの少し近づく。


ちゃんと伝えたから、ちゃんと届いた。 ​ 
そんな実感でした。


私は今、「困っている」が言える人を
育てる専門家として活動していますが、 ​ 
昔の私は、「困っている」と口にすることが、
本当に怖かった。


「嫌われるかも」「迷惑かも」って、 ​ 
勝手に自分の中でブレーキをかけて、 ​ 
なんでも1人でやろうとしてた。


でも、たった一言で変わる関係がある。 ​ 
そのことを、少しずつ体で覚えていく中で ​ 
「頼ること」に対する定義がやわらかくなってきたんです。


あなたにもありませんか?


「これくらい我慢しなきゃ」って ​ 
言えなかった小さなお願いごと。


それ、実は ​ 
言ってよかったことかもしれません。


そんな経験があれば、ぜひ教えてくださいね☺️
 

「大丈夫」って言いながら、  
いちばん、自分が自分を無視してた。



そんな私が、  
一番怖かったのは「助けて」が口から出てしまうことでした。


頼られることで、かろうじて自分の存在価値を保っていた私にとって、  
「助けて」は弱さに聞こえてしまっていたんです。
 

仕事では「任せてください」って笑顔で言い、  
家に帰ったらソファから動けずにいる。  
誰かに頼られたら「嬉しい」と思うのに、  
自分が頼ることは「迷惑」だと思っていた。


本当は「手伝ってほしい」「しんどい」って言いたかったのに。


でもその一言が出せなかった。  
いや、「出したら全部が壊れる気がして怖かった。」
 

そんなある朝。  
アラームが鳴っても体が動かなくなりました。  
涙が止まらなくなって、呼吸もうまくできなくて。


「もう無理だ」  
その言葉が、心の中に響いて。


何が悲しいのかも分からない。  
でも、どうしようもなく涙が溢れる。  
 

そのとき、ふと気づいたんです。


「誰も気づいてくれなかった」って思ってたけど、  
「私も、誰にも伝えなかった」って。


「助けて」って、声に出してなかった。  
ずっと、察してもらうのを待っていたんです。

 
いま私は、「困っている」が言える人を

育てる専門家として活動しています。


でも、昔の私は  
「困っている」なんて、

口にすることさえできなかった。


だからこそ、今  
あの頃の自分に言いたい。


「助けて」は、弱さじゃない。

生きていくための言葉なんだよ。

 
もし今、  
「頼りたいのに、迷惑かも」って

心が止まってしまうことがあるなら。


それはあなたが弱いからじゃなくて、  
優しすぎるから、ずっと自分のことを

後回しにしてきたから。


「しんどいかも」って、小さなサインを  
少しだけ外に出してみてくださいね。


あなたの助けてが、  
世界にちゃんと届きますように。
 

「助けて」と言いたいのに
つい、飲み込んでしまうんです――



そんなご相談をいただきました。


たとえば。
上司に提出するデータをExcelでまとめていたら
予想外のエラーが発生。
残り時間はあと30分。どう考えても間に合わない。


でも…言えないんですよね。
「間に合いません」「助けてください」って。



迷惑かけたくない。
責められるかも。
頼れない自分に、自分でがっかりしてしまう。


でもね、それって本当は
誰かの時間を奪いたくないっていう
あなたの優しさが背景にあることも多いです。


ただ、その優しさが
自分を追い込む「無言のルール」に
なってしまうのはもったいない。


大事なのは、「迷惑になるかも」じゃなく
今の状況を冷静に判断する視点です。



たとえば、
自分にとっては「想定外のトラブル」でも
他の人からしたら「よくあること」で
一瞬で解決できることかもしれない。


それなら、声をかけることで
逆にチームとして前に進めるんです。


「助けて」って言うのは、
甘えじゃなく対話を始めるきっかけ。


仕事は、ひとりで頑張るものじゃない。
困ったときに声をかけられる力も、
立派なスキルのひとつです🌱