「一瞬、分かった気になるんです。
でも、ちっとも満たされなくて……」
受講生のAさんから、
胸の内にある「違和感」を
打ち明けられました。
SNSを開けば、
自分が参加できなかった講座の感想が
次々と流れてくるタイムライン。
それを見ては
「なるほど、こういう内容だったのか」
「いいこと言ってるな」と、
自分を納得させようとする日々。
でも、
画面を閉じたあとに残るのは、
説明のつかないモヤモヤと、
言いようのない焦燥感。
これ、実はAさんだけの問題ではありません。
今、多くの「頑張り屋さん」が
陥っている罠なのです。
今の時代、指先ひとつで、
誰かが咀嚼(そしゃく)した
「正解らしきもの」が簡単に手に入ります。
効率よくパッケージ化された、
きれいな「言葉」。
でも、それに頼れば頼るほど、
なぜか心は窮屈になっていく。
なぜなら、そこには
「あなた自身の体験」と
いう体温がないからです。
かつて、自分の足で会場へ向かい、
その場の空気、講師の熱量、隣の席の人のため息……。
そんな「五感のすべて」で場を共にしていた頃。
私たちは「誰かの感想」で
自分を埋めようなんて、思わなかったはずです。
効率を優先して「自分で選ぶプロセス」を飛ばすこと。
それは、便利さと引き換えに、
自分自身の「生きた感覚」を麻痺させているのと同じかもしれません。
有能で、責任感が強く、「正しくありたい」と願う人ほど、
知らず知らずのうちに、最短距離の「正解」という鎖で
自分の心を縛り付けてしまう。
「自分がどうありたいか」という大切な根っこを、
他人の言葉という「借り物の水」で潤そうとして、
逆に枯らしてはいませんか?
誰かの正解を追いかけるのを、一度お休みしてみましょう。
効率は悪いかもしれない。遠回りかもしれない。
でも、その不器用なプロセスにこそ、
あなた本来のエネルギーが巡りだす「本当の潤い」があるのです。
もし、胸の奥が少しでも動いたら、
「自分の感覚を信じる!」とコメントで教えてくださいね。




