こんにちは♪
今日は中学〜高校生編です。
幼少期〜小学生編まだの方は
こちらから↑
中学生になってもしばらく透析。
引き続きピアノと吹奏楽継続中。
私は周りの友達に
病気のことはあまり知られたくなくて
なんとなくみんなは
なんかの病気なんだろうなー
くらいだったと思います。
だからと言って
見た目は少し周りより細い位で
病気ってわかるわけではないので
友達も普通にいたし
学級委員長とかやったりして
割と活発に過ごしてました。
そして
14歳の時父からの腎臓移植。
手術前の検査とか準備とか
たっくさんやったんだろうけど
ぶっちゃけ手術の話を
病院に聞きに行った記憶が
なんとなーくあるくらいで
あんまり覚えていません。
父は喫煙者だったけど
移植が決まってから
私のためにタバコを止めました。
思ってくれてるなーって子供ながらに実感。
でも止めたのは
身体には良かったんじゃないかな
手術は約8時間
すっごいどうでもいいかもしれないけど
手術前の浣腸が苦手ですぇ
得意な人いないと思うけど…
私の数回やってきた検証として
前日あんまり食べないとキツくない説!
ってか医療が発達してるのに
浣腸ってもっと楽にならないもんかね
ちなみに私は
麻酔系すぐかかります!笑
手術室行く前に部屋とかで
落ち着かせる?の注入した途端
フワッフワになります!笑
私だけじゃないのかな…?
手術前の話はこの辺にしておいて…
ストレッチャーで運ばれ
手術室に入り待っていると
父の声が…
ごめん、って思って涙が溢れ出た瞬間に
麻酔で眠ったのを覚えています。
手術後は
真っ暗な集中治療室で
少しずつたくさん繋がれた管が
抜けていくのを待つ日々
術後すぐ家族が話しかけに来てくれるも
眠すぎて何か言ってるなー…くらい
1日中真っ暗な部屋で自由に動けなくて
時の流れがめちゃくちゃ長い…
看護士さんがくるたび
「今何時ですか?」って聞いてた
痛みで目覚めて痛み止め注入されて寝る…
のひたすら繰り返し。
数日して一般病棟に戻ってくるも
まだまだ起き上がったり寝返りできず…
確かお腹圧迫するのに
重石みたいの乗せてた気がする。
ずっと寝たきりで辛いし痛いしで、
看護士さんには色々してもらったなぁ…
痛みと闘いながら
でも動かなきゃ治らないって言われて
お腹抱えながら少しずつ歩き始め
膀胱の管抜いてからは
とにかく最初おトイレが近い近い!!
傷痛いしトイレ行きたいしで大変笑
この時顔色も舌の色も
すごく良くなったって言われました。
透析中は水分制限してたのに
移植した途端、水1日2L以上必須!
飲めなかった分
飲めるようになったのが本当に嬉しかった!
ご飯も塩分とかカリウム制限されてたけど
普通食に!!!ひゃっほー
ちなみに腎臓は右側に入っています。
お腹には肋骨下あたりから
膀胱位まで傷跡あります。
消毒の時は位置が位置だけに
いつもくすぐったかった…
ちなみに今は良く見ればわかる程度。
その後入院は1ヶ月程度で中学校復帰!
復帰初日はどんな顔して行けばいいのかわからず
すっごく学校行くのイヤでした…
行ってみたら意外と普通に馴染む。笑
最初だけ来たんだー。ってなるくらい。
そんなもん!笑
その後は月に1度
必ず病院に通い、お薬調整。
それ以外に時間の制限はなく
水分をたくさん取ること以外は
普通の生活。
自分が健康な人間になったと錯覚して
一生このままの生活ができる!
って思ってました
ちなみに春頃手術してたので
終わってからは受験まっしぐら!!
近所の塾も通ってたよー。
担任の先生が音大出身の先生で
色々親身になって進路指導してくれました。
そして吹奏楽の頑張っている高校に
推薦で行くことに。
勉強あんまりできなかったから
助かったぁーーー笑
高校時代は部活に明け暮れ、
壮絶な反抗期突入。
今まで縛られてた分が一気に開放された感。
数値も安定していたので
この頃から一人で病院に
通うようになりました。
ちなみに音楽は人より良くできる方だったかな。
何か一つでも人よりできる事があるのは
自信や自分の支えになると思います
友達と一生喋ってられるんじゃないか
ってくらい毎日毎日喋り倒して
遊び行きまくって
部活に明け暮れて…
普通の高校生活を送ることができました。
幸せだったなぁ。
進学は大学行こうかと思ったけど
勉強できないし
親は超絶心配症だしで
渋々適当な専門学校行きました
最終的に大学行かなくてよかったかも
って後々思う事になるんだけど…
こんな感じかな。
本当に本当に移植してよかった。
移植できてよかった。
移植してくれてありがとう。
人生一番楽しい時期だったなぁ。
次で専門学生〜今までを
アップしたいと思います。
またね