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No one asks me to dance

インターネットに無さげなとこを不定期に。

ジーパンの生地のいろいろ

 

 ジーパンはデニムで作られている——当り前のこというな、と怒る人がいたら、デニムという名は、どこから来ているか、と質問してごらん。おそらく正確に答えられる人は少ないだろう。
 デニムは、一番初めに、フランスのニームからアメリカに輸入された。このニーム産の生地は、セルジュ・ド・ニーム(SER-GE DE NIMES——ニーム産のサージ)と呼ばれたが、これがアメリカに輸入されると、何でも略してしまうアメリカ人の習慣で、セルジュが無くなってしまい、”ド"と“ニーム"がくっついて、ドニム→デニムとなった、というわけ。
 ところで、ジーパンと呼ぶのは日本式呼び名で、正確なフル・ネームは、ブルージーン・パンツ。アメリカでは、「ブルー・ジーンズ」と略したり、ただ「ジーンズ」と呼んだりする。
 ジーパンの色は紺が大半、この紺を本場のメーカーは、インディゴー・カラー(あい色)といっている。
 といっても、ジーパン即ち紺ばかり、と思うのは、素人のあさましさ、柄ものもあれば白っぽい色もある。
 柄もののジーパンで一番多いのはストライプ。ちょうどモーニングの縞ズボンぐらいの縞で、かなり目立つものが多い。もっとも、この縞のジーパンは、現在はどうか知らないが、かつてのワイルド・ウェストでは、あまり品のよい人ははいていなかったらしく、映画などで見ても、「大いなる西部」のチャック・コナースがそうだったみたいに、たいがい悪役ときまっている。

 アメリカのジーパン・メーカーが今でも、縞、柄の名前を、ギャンブラー・ストライプ、つまりばくち打ちの縞、なんてつけているのもこの名残りである。
 その他、女性用には、ファンシイな縞や、チェック風の柄があるが、男ものには見られない。
 現在、アメリカのヤングマンたちに、非常な勢いで流行し出したのは、ホワイト・ジィーンである。ホワイト・ジィーンといっても、真白ではなく、染色する前の生成(キナリ)の色。これを普通のジーパン形ではなく、ちょっと短目に仕立てて、通学や遊び用にはいている。日本でもセンスのよい若ものには、生成の生地がうけているが、若い人の流行なんて、世界中、どこにいっても、変らないものだ。

本場のジーパン紹介
 ところで、歴史やエピソードは、それぐらいにして、あなたが、ジーパンを選ぶとしたら、どんなものを選んだらよいだろうかをお教えしよう。
 ジーパンは、今では、イギリスでもフランスでも、世界中ほとんどの国で作られているが、何といっても、歴史の古いアメリカ製が一番。他はみな、アメリカものの真似である。うれしいことに、今度の貿易自由化によって、綿製品の輸入が出来るようになり、日本でも、本場ものが買えるようになった。
 国産愛用者連盟には、しかられるかもしれないが、本場のジーパンと国産ものを比較したら、月とスッポン以上、火星ともぐらぐらいの違いはある。売値で、三千円くらいだから、どうせはくなら、本場ものにしたい。
 現在、市場で容易に手に入り、また、アチラでも一流メーカーである、ということを条件にすると、「リバイ」と「オールド・ケンタッキー」の二社が、責任を持ってすすめられそうである。
 簡単に、あまり、宣伝にならない程度にこの二社の製品の特長を述べてみよう。

>「今度の貿易自由化によって、綿製品の輸入が出来るようになり、日本でも、本場ものが買えるようになった。」

この記事が掲載されたMEN'S CLUBは1963年の春号、それまでアメリカ製のジーンズを新品で手に入れるってのは相当に無理スジな話だったと思われる。


リバイ社のジーパン
 さっきも、説明したように、この会社の初代社長が、ジーパンを考え出した人。従って、創立も、一八五〇年と、カリフォルニアで砂金が発見された、翌々年になっている。
 歴史の浅いアメリカでは、一八五〇年に出来て、今まで続いている会社なんて、そうザラにはないから、何といっても、ジーパン界きっての名門といえよう。
 この会社は、古い割には、宣伝もうまく、やることなすこと、きわめてスマートである。尻ポケットのデザインなども、抜かりなく意匠登録してあって、特徴ある丸みがかったV字のステッチなども、他のメーカーたちが真似て作れないようになっている。
 右の尻ポケットの上に、白いオイル・クロス・ティケットといって、お札の親分みたいな、飾りマークがついているが、これも、リバイ社が世界で一番初めにやり出したもの。
 このティケットには、英語で(当り前だが)リバイのズボンがいかによいかと、くどくど書いてある。
 ジーパンは、大概、右の尻ポケットの上に、四角い皮のラベルがついているが、リバイのものは、馬が二匹、荷物を引っぱっている絵が、トレード・マークになっている。このマークの登録は、一八七三年の五月二十日に済ませたとのことだから、ここにも、古く伝統が輝いている。
 縫製のよさはいうに及ばないが、長くはいていれば、白っぽくなって、最高にゴキゲンな感じになるのは、やはり本場ものならではの持味である。
 なお、余談だが、リバイ社のスペルはLEVI。最初輸入されたとき、関係者の間で、これを日本的にリブィと発音するか、リバイと読むかで、だいぶモメたので、老婆心ながら付け加えておこう。

だいぶモメたというリバイ表記、MEN'S CLUBでは70年代末期までありました。

そしてまさかのロットナンバー501についての言及無し。参考にしたであろう文献に記載がなかったんでしょうか。(というか当時のアメリカでも501がジーンズの名称として一般に通用していたのか?という話もある)

その501、当時の日本では米軍の放出や業者の輸入で古着は流通してたけど、新品の流通は前述の貿易自由化以降も無かったようです。それもかなりの期間。ちなみに日本で501に触れた雑誌記事は確認できた中ではMEN'S CLUB 1975年1月号が最初で、界隈では知られている読売新聞社のMade in U.S.A catalog 1975はその後の発売です。

 

オールド・ケンタッキーのジーパン

 オールド・ケンタッキーという、いかにも、ウエスタン・マニア向きの商標のジーパンは、ワシントン・マニファクチャリング社によって作られている。
 この会社の創立は、一八八六年。リバイよりは、ちょっと新しく、リバイが、ガンガン宣伝して売り込む商法をとっているのに対し、オールドケンタッキーの方は、ずっと地道である。
 というのは、この会社は、社長以下全員がチャーチ・オブ・クライストというプロテスタント派の教会の熱心な信者であるという、一種の宗教団体だからだ。
 アメリカには珍しく労働組合もなく、従業員は、酒も禁じられているというから、いかにジーパン作りに精根をかたむけているかがわかるだろう。
 同社のモットーは消費者に満足してもらえる商品を作るということ、従って、はいてもらえば、良さがわかる、というので、派手な宣伝は絶対やらない、という主義をとっている。
 労働組合がないため、ユニオンに対する献金の義務がないので、出来上がった製品は、他社よりも、かなり安く、しかも純利益の一割を、世界各国の慈善団体に寄附しており、日本でも、この寄附を受けた所が、数ヵ所あるというから、まったく儲けるためには、どんなことでもする、日本のズボン屋さんなんかには、爪のアカでもせんじて飲ませたいみたいな話だ。
 オールド・ケンタッキーの良心的なビジネスの一端を知ることが出来るものに、製品に対する「アンコンディショナリー・ギャランテー」という制度がある。つまり、商品があるかぎり無条件保証をするということ。先日同社の重役のヘルデスタイン氏が来日したので、筆者が、この点に対して質問したところ、文字通りの無条件、つまり、例え十年経っても、二十年経っても、製品に不都合な点が出れば、返金もするし、また新品とも取り替えるのだと強調していた。
 同氏によれば、客のクレームによって返品されるものは年間五百本、そのうち大半が、フランスの女性に売ったもので、彼氏、フランス女は世界一ケチくさい、と肩をすくめていた。
 その他、一〇オンスの生地、一ニオンスの生地という風に、生地の厚さ別に、それぞれ製品を作っていること、防縮加工が完全になされていること、ケガをしないように、リベット(鋲)の頭を丸くやすりでけずるなど細かい点に注意を払っていること、火を付けても、簡単に燃えない防火処理済であること、など、いかにも、キリスト教徒の人たちが作っているジーパンにふさわしい、良心的な特長がいくつでもあげられる。

オールド・ケンタッキーについてこれほどまでに詳細に書かれた雑誌記事、世界でもこれが最初で最後なのではないか。

ということで3/3へ続きます。