ジーンズについて起源から特徴を詳細に解説した恐らく日本で最初の記事。1963年のMEN'S CLUB volume 31掲載。
執筆した伊藤紫朗は服飾評論家でありMEN'S CLUBでは初期から活躍したライター、後に興した紳士服ブランドであるMac Bethやchipp(アメリカの同ブランドのライセンス)のスタジアム・ジャンパーやブレザー、スーツを愛用してた方も少なくないと思う。
ということで当時の記事です。
「なーんだ、ジーパンか」と馬鹿にしてはいけない。ジーパンこそ、唯一とはいえないまでも、生粋のアメリカ生れのオリジナル・モードであり、その歴史は、古く西部開拓時代にさかのぼる。パイプはダンヒル、カフス釦はピコックなどと、男ものの一流メーカーを知っている人は多いが、「ジーパンの本場アメリカの大メーカーは?」ときかれると、十人が十人とも、サテと首をかしげるのではあるまいか。そこで、一席ブツ人には最適の「ジーパンのすべて」。詳しくは111頁以下の本文をお読みいただくとして、写真は、一流メーカーのポケット・デザインを示したもの。それぞれ特徴があり、一目でわかるしかけ。向って右はオールド・ケンタッキー製品、左はリバイス製品。
超綺麗なアーキュエイト・ステッチ。502-0117を扱ってたことで知られる堀越商会が実は504ZXXも扱っていたという驚き。というかジップフロントであることが重要でロットナンバーは生産する上での管理番号くらいの認識だったと思う。
そしてリーバイスと共に記事でチョイスしたジーンズがなんとオールド・ケンタッキー。リーもラングラーも登場せず。
☆ジーパンの歴史はゴールドラッシュと共に開幕した
ダーン——と銃声一発、抜く手も見せずに相手を打ち倒し、そして何事もなかったように、平然と引き上げて行く、西部劇のヒーローたち——ワイアット・アープ、パット・ギャレット、ドク・ホリディETCETC。
まあ名前など誰でもかまわないが、その彼らが、馬鹿にカッコよく見えるのは粋なガンさばきもさることながら、あの細くスマートなジーパンに負うところが大きいのではないだろうか。もし彼らが、ダブダブのセーラー・ズボンをはいていたと想像してごらん。またピッタリ身体に合ったウエスタン・シャツに、モンペ・スタイル!?でいたと想像してごらん。はたして、今日のように、西部劇が、男女を問わずモテていたかどうかは疑問である。
昔はカウボーイに愛され、そして、現在では、若い人たちの必需品みたいになってしまった、紺のデニムで作った細いズボンジーパン——このジーパンの歴史は、実に西部開拓史そのものである。
一八四八年、某年某日、カリフォルニアはサクラメント川のほとりにある、ジョン・A・サター所有の交易所の近くの河床から砂金が発見された。かくて、世にいう"ゴールド・ラッシュ"に突入。
「金が出たぞ!!」というニュースは、アッという間に全米に伝わって、老いも若きも、ちょっとでも山っ気のある連中は、カリフォルニアへ、カリフォルニアへと急いだことは、皆さまごぞんじ西部劇の一シーンである。
とにかく、いかにゴールド・ラッシュがすざまじかったかは、東部では、検事も弁護士もいなくなって裁判が開かれなかったり、記者から印刷工全員が出払って、新聞が発行されなくなった新聞社があった、という当時のエピソードからも、推測される。
こうして若くて元気のよいのは馬の背にゆられ、少しくたびれたのは幌馬車で「ゴー・ウェスト」の掛声と共に、百万長者を目指して、西へ西へと進んだのだが、一番困ったのは、ズボンだった。
というのは、何しろ、荒っぽい旅、普通のズボンではすぐスリ切れてしまう。一同、三日もはけば、穴のあいてしまうズボンを眺めて、思案投首のところへ、いつの時代にも、目先のきく人はいるもので、あるババリアからの移民が面白いことを考えついた。
それは、この頃、テントや馬車の幌に使われていたキャンバスで、ズボンを作ってみてはどうか、というアイディアである。さっそく、試してみたところ、このズボンは、丈夫で長もちする、というので、引っぱりだこの大評判。彼氏、大当りに当り、ここに、ジーパンという、まったく新しい衣料が、さっそうと登場したというわけである。
彼氏とはリバイ・ストラウス。この人の工場は、現在でもジーパンの大メーカーで、年間、日本金に換算して、二百億円以上もかせいでいる。
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