名牛茂洋逝く 「宮城の畜産界変えた」 関係者、功績たたえる | 人生の水先案内人

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仙台牛ブランドをけん引してきたスーパー種雄牛「茂洋」が死んだ26日、

 

宮城県内の畜産関係者は功績をたたえ、宮城が全国に誇る名牛の死を悼んだ。


 「年も年なので仕方ないが、やはりさみしい」。茂洋を生産した

 

石巻市桃生町の農家遠藤好洋さん(56)は心境を吐露した。


 2007年に霜降り度合いとロース芯面積で日本一の評価を得て、県の基幹種雄牛となった。

 

遠藤さんにとって初めての種牛。

 

「種牛を生産してみたい気持ちがあった。うれしかった」と当時を振り返る。


 8月下旬、妻が農協の研修で県畜産試験場を訪れた際、

 

脚が曲がって歩くのがやっとの茂洋の映像をカメラに収めた。

 

写真を見た遠藤さんは「そろそろか」と覚悟したという。


 茂洋の「洋」は遠藤さんの名前から取った。

 

遠藤さんと茂洋の誕生日はともに1月9日で不思議な縁を感じている。

 

「三十数年畜産農家をしている中で最高の牛。茂洋を生産できて光栄だ」と胸を張った。


 同市桃生町の畜産業佐々木勝作さん(68)は、茂洋を父に持つ基幹種雄牛「勝洋」を生産した。

 

「日本を代表する牛だった。功績は子牛たちに受け継がれている」と追悼した。


 茂洋は13年には種牛としての役目を終えた。

 

通常は処分されるが、貢献度の大きさから試験場で「余生」を送っていた。

 

26日も試験場の職員にみとられ、息を引き取った。涙をこぼす職員も。

 

大場実場長は「多大な貢献をした功績に敬意を払いたい」と語った。


 「県内では茂洋までなかなか良い種牛が出なかった」と指摘するのは全農県本部の大友良彦本部長。

 

「茂洋のおかげで県畜産界は大きく変わった。

 

感謝しかない」と労をねぎらった。


 村井嘉浩知事は「茂洋のデビュー後、県内の肉用牛改良が目覚ましく進展した。

 

茂洋が築いた生産基盤を生かし、仙台牛のブランド力向上に取り組んでいく」との談話を出した。