1999年に発見されたマヤ時代の墓地で新たな調査が始まり、
鮮やかな赤の壁画に彩られた埋葬室の入り口が公開された。
墓地の内部に初めて足を踏み入れたのは、メキ
11個の土器と翡翠(ひすい)の小片も見つかったという。
「赤は王墓の装飾によく使われる色で、マヤの人々にとっては血の象徴であり、神聖な生命力を表すと考えられていた」と、
テキサス大学オースティン校でマヤ時代を研究するデイビッド・スチュアート(David Stuart)氏は話す。
マヤ人の祖先を含むアメリカ先住民は、紀元前8000年前後にユカタン半島に定住を始めた。
以降、グアテマラ 、ベリーズ 、エルサルバドル 、メキシコ およびホンジュラス にわたるメソアメリカ地域で、いくつもの文明が興亡。
文化的、科学的な業績と共に、現在もそびえ立つ数々の驚くべき建築物で知られている。
マヤの古代遺跡パレンケは世界遺産であり、メキ
紀元500~700年頃にマヤの政治的中心地として栄え、1948年に本格的な発掘調査が始まった。
◆墓の主は誰か?
埋葬されていた人物がだれなのか、詳細は判明していない。
INAHでは、墓の主はパレンケ王朝の開祖、紀元431~435年在位のクック・バラム1世(K'uk' Bahlam I)と推測している。
しかし、テキサス大学のスチュアート氏によると、様式や内部で見つかった陶磁器などから、6世紀頃の造営である可能性もあるという。
墓室の壁には9人の人物が描かれている。
これらについてスチュアート氏は、「墓に埋葬されている王家の祖先たちであろう」と推測する。
9人の描写は、他のパレンケ王家の墓でも繰り返し使われているテーマのようだ。
パレンケで最も高いピラミッド「碑文の神殿」内に眠る、パカル王の壮大な墓もそのひとつだ。
カン・バラム王の父親に当たるバカル王は紀元615年、12才で王位を継ぎ、80歳までパレンケの最盛期を築いたといわれる。
世界クラスの繁栄都市に成長させ、多くの建造物を建立した。しかし、パカル王以前のことはほとんどわかっていない。
「もしパカル王の祖先を葬った墓ならば、当時を知る手掛かりになるかもしれない」とメキ
今後の調査に期待して欲しい」。
1999年に発見され、最近新たな調査が始まったパレンケ遺跡の墓室。
