【投資家のための金融史 板谷敏彦】第4章 産業革命とアメリカの台頭(6) | 人生の水先案内人

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2012.10.3 05:00

 ■初期株式市場を支配した鉄道株

 

産業革命によって工業製品が大量に製造されようとも、交通機関の発達なしには原材料も製品も動かない。


イギリスの産業革命の初期には運河が特許を得て開削された。


1761年にブリッジウオーター運河が開通して以降、19世紀の中頃までに運河は6840キロメートルまで延伸したが、そこでピークを迎えた。


鉄道が新たな輸送手段として登場したからである。

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鉄道会社の特許申請は1801年から始まり、21年までに14社が取得した。


しかしこれら初期の鉄道は、有料道路であるターンパイクと同様に線路だけを敷設し、通行料を徴収する線路貸しのビジネスであった。

 

ストックトン・アンド・ダーリントン鉄道は21年に特許を得たが、途中で自社による蒸気機関車の導入を決断して25年には世界初の鉄道運営会社として開業した。


ジョージ・スティーブソンのロコモーション号を導入して石炭を輸送したのである。


これに少し遅れてマンチェスター・リバプール間の鉄道が申請されたが、この会社も同じようにロコモーション号を採用した。

 

ここでは先行の既得権益者である運河業者からの強烈な反対に出合うことになった。


しかし結局運河経由なら36時間かかるのに対して、鉄道ではたった5時間、運賃は3分の1になるということで、特許がおりたのである。

 

このリバプール・アンド・マンチェスター鉄道はコンソル国債の利回りが3.3%程度の時に年率8~10%の配当を実施した。


株価は額面の3倍程度にまで上昇した。

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19世紀初頭のロンドンでは国債や外国公債が売買の中心であったが、

1838年のロンドン株式取引所の記録では

675のメンバーシップのうち278のブローカーが株式に取り組み、

うち15のメンバーは特定の鉄道株だけを扱っていたとある。


45年ごろに鉄道株は最初の株式バブルに巻き込まれるが、53年のロンドン証券取引所の上場証券の額面合計では4分の3が政府証券であって、業種別では突出した鉄道株でさえも2億ポンドほどで、16%のシェアしかなかったのである。

 

市場の興味は、開発されるべき広大な土地を持つアメリカに移っていた。

 

19世紀も後半に入り南北戦争が終了すると、ニューヨーク市場においても多数の鉄道会社が設立され、それに伴い鉄道証券(株式と債権は約50%ずつの割合だった)が大量に発行されるようになった。


それまで取引の中心であった国公債から、次第に鉄道株にシフトしていったのである。

 

1899年のニューヨーク市場では時価総額の63%が鉄道株だった。


初期の株式市場は全く鉄道株中心だったのである。


これは1896年にダウ・ジョーンズ・アンド・カンパニーによって発表された世界初の平均株価指数の構成銘柄を見ても明らかだ。


鉄道株価指数は20銘柄だったが、

工業株価指数は12銘柄でしかなかった。

 

ロンドンでもそのころには上場外国公債を勘定に入れても鉄道株が約半分であったし、東京市場でも同じことだった。