2012.7.28 05:00
■銀行創設の功績はヴェネツィアにあり
第4話に登場したプラートの商人ダティーニは、フィレンツェのジョバンニ・メディチと時代が重なっている。
ジョバンニは1385年に親戚の経営する両替屋のローマ支店を任され、1397年にはフィレンツェに戻ってきた。
フィレンツェで働く年長のダティーニとは、両替商のギルドであるアルテ・デル・カンピオで面識があったに違いない。
ジョバンニは1410年にローマ教皇庁会計院の財務管理者となり、教皇庁の金融業務を押さえた。なんと徴利禁止の本家本元を顧客としたのである。
彼はここで莫大な利益をあげ、後のメディチ家の繁栄の基礎を固めた。
1420年には長男のコシモに実務を委ねているが、このコシモがメディチ家の繁栄とフィレンツェにおけるルネサンス文化の開花を題材とした辻邦生の小説「春の戴冠」の登場人物、老コシモである。
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銀行の起源をたどれば、メソポタミアの私的な銀の貸し借りにまで行き着く。貨幣の発明されたギリシャでは不動産担保融資があったし、貨幣と地金の預託に対して利子を支払う商人もいた。
ローマでは税の出納業務を行うタベルナエ・アルゲンタリア(アルゲンタリイは貨幣を扱う商人)がおり、アトリビューティオという譲渡証書も流通した。
しかし「マネーの進化史」を著したニーアル・ファーガソンも、「図説銀行の歴史」の著者エドウィン・グリーンも、中世北イタリアの両替商たちを銀行の起源としている。
ロンバルディアの商人は貨幣を扱う者に限らず、取引台を店の前に構えた。この台がbenchと呼ばれイタリア語のbanco、後の英語のbankとなった。
赤い布を取引台に敷けばバンコ・ロッソである。破産を意味するbankruptcyはこの取引台をたたき割って使えなくすることを意味している。
またロンバルディアの両替商(高利貸の意味もある)の一部はやがてロンドンのシティーに移住し、ロンバード街という街を形成した。
日本でもこの名は日本銀行のロンバード型貸付制度として取引台の記憶を綿々と現代に伝えているのである。
塩野七生は「海の都の物語」で、ヴェネツィアの銀行の特殊性を取り上げるとともに、近代的な銀行創設の功績はヴェネツィアにあるとしている。
「バンコ」は机の上に金銀貨を山済みにした店構えでまさに両替屋であったが、ヴェネツィアの銀行は帳簿だけを机に置き、「バンコ・ディ・スクリッタ(書く銀行)」と呼ばれた。
現金なしで為替手形の決済や口座間の資金移動が可能だったのである。
しかしフィレンツェにはメディチ銀行、ジェノバにはサン・ジョルジュ銀行のような「グロッシ(大)バンキ」と呼ばれ同様の機能を持つメガ・バンクも存在していた。
預金、貸し付け、為替に小切手などの機能は北イタリアに預けるとして、近代的な銀行の機能である信用創造の発生にまつわるストーリーが、イギリスのゴールドスミス説と呼ばれるものだ。
ゴールドスミスとは金を保管・加工する業者で、日本語では金匠という立派な訳語がある。
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17世紀のロンドン。市民革命の混乱の中で、資産家は現金や貴重品を金匠に預けた。
金匠は預かり証を発行するが、そのうちに預かり証そのものが流通するようになった。
金匠はある日預かった金額と比べて支払いに必要な金額が少ないことに気付いた。そこで金匠は預かった金額以上の貸し出しをして信用を創造するに至った…。これが金匠銀行説である。
エドワード・バックウェルという「イングランド銀行業の父」とも称される金匠がいた。彼は他の金匠から預金を受け入れて政府財務府に貸し付ける対政府融資仲介業者でもあった。
1665年にイングランド政府は後の国債となる「支払い指図書」を導入したが、バックウェルはこれを大量に引き受けた。
まさに金匠たちの黄金時代だったわけだが、1671年に政府はデフォルトして引き受けた金匠達は破綻してしまう。
しかし国債引き受けに参加できなかった小規模な金匠は、公証人銀行とともに、後の英国の個人向け銀行の母体となった。
1694年、バックウェルたちの屍の上に、バンク・オブ・イングランドが創設された。