2012.7.27 05:00
■簿記の父ルカ・パチョリ
トスカーナ生まれのルカ・パチョリは「簿記の父」と呼ばれている。
パチョリの専攻は数学で、ペルージャ大学などで教鞭を取り、昵懇だったレオナルド・ダビンチとは立体図形の共同研究を行った。
彼は1494年に「算術、幾何、比および比例全書(スムマ)」という活字と木版が交じり合ったイタリア語の本を出版した。
印刷業はすでに軌道に乗り始めていたので、フィボナッチの場合とは異なりパチョリの本は印刷物として世に出た。
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当時の学術書はラテン語で出版されるケースが多かった。ゆえにイタリア語の「スムマ」は実用書だったに違いない。
何よりこの本の特徴は、ローマ数字ではなくアラビア数字で書かれていたことにある。
1523年にはラテン語で再販されたが、これはイタリア語圏外の読者のためだった。
「スムマ」は算術、代数、金融数学、簿記、幾何を含む一種の数学辞典のようなものだったが、その中に複式簿記の概念の説明があった。
このために、パチョリは後に簿記会計の父と呼ばれるようになった。
しかし複式簿記はアラビアで発明されたとの見解もある。
また1340年のジェノバ財務官の記録やその他の帳簿にもすでに見いだすことができる。
今日ではパチョリは発明者ではなく、そうした技術をまとめた人だと考えられている。
こうしたことはJ.H.フラマンの「簿記の生成と現代化」に詳しく書かれているが、この頃の数字と記帳の関係には実に興味深いトピックが多い。
例えばヒンドゥー数学では負数(マイナスの数字)の概念があったが、アラビアはマイナスの使用を認めなかった。
従ってフィボナッチが学習したアラビア数字の中には演算における引き算のマイナスはあっても、「-5」のようなマイナスの数字そのものはなかった。
これがルカ・パチョリや当時の帳簿にまで影響を及ぼしている。
たとえば、われわれが現代において使用する貸借対照表だ。もちろん資本の部がマイナスになって企業は倒産したりする場合もあるが、基本的にはプラス・マイナスを左右に分け、正の数だけで資産を表現しようとしたとも考えられるのである。
ここでは基本的に貸しも借りもどちらもプラスで表記されるのである。
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グーテンベルクの偉大な発明である印刷技術の発達は、金融にも大きく影響を及ぼしている。
金融技術書(計算のマニュアルなど)の普及以外にも、印刷は証券、帳票類の偽造を困難にした。
印刷機の発明から約半世紀を経過した1495年から97年の間に全ヨーロッパでは1821点の新刊書が出版されたが、そのうち447点がヴェネツィアでの出版であり、次点のパリの181点を大きく引き離していた。
ヴェネツィアを含む北イタリアがいかに当時のヨーロッパの文化の中心であり情報発信地であったのかがわかる。
コロンブスが西インド諸島を発見したのが1492年。
簿記が整えられ、出版業が盛んになり始めたころに、いよいよ大航海時代が始まる。