第6部・ちから(1)結ぶ<上>/御殿の宝は若い笑顔/ボランティア集う場
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気仙沼市の唐桑半島には、豪壮な家々が立ち並ぶ。
入り母屋造りの反り返った屋根、黒く輝く瓦。
遠洋マグロ漁などで稼いだ漁師たちが、心意気を競って建てた。
「唐桑御殿」と呼ばれる。
気仙沼市唐桑町の鮪立(しびたち)地区。
昨年12月24日朝、3階建ての「御殿」からジャージーやジーパン姿の若者がぞろぞろと出てきた。30人はいる。
「久しぶり」。弾んだ女性の声が響いた。
近くに住む家主の菅野一代(いちよ)さん(48)。
集団に駆け寄って、抱き付いた。
若者らは関東などから来たボランティアの学生だ。
菅野さんは、日本財団学生ボランティアセンター(東京)と契約し、20畳以上の広間を備える家を、無料の宿泊所として開放している。
学生は月に1、2度入れ替わりで来て、がれきの撤去などに当たる。
多い時で30人前後、延べ約500人がこの御殿に泊まった。菅野さんは言う。
「一度は壊そうと思った家。若者たちが再び、命を吹き込んでくれた」
<まるで息子>
菅野さんは夫の和享(やすたか)さん(54)と、3代続く養殖業「盛屋水産」を営んできた。
自宅は築30年。
近所でもひときわ大きい御殿だった。
あの3月11日、鮪立地区は20メートル近い津波に襲われ、菅野さん宅も3階までのまれた。
天井や壁が抜け、住める状態ではなくなった。
6月まで避難所で暮らし、被害が小さかった近所の家を買って移り住んだ。
船も養殖施設も全て流された。自宅を直す余裕はない。
「壊そうか」。迷う菅野さんを思いとどまらせたのも、ボランティアだった。
四国の建設会社の社長らが、重機で自宅周辺のがれきを片付けた。
学生らが家の中の泥をかき出した。
見ず知らずの自分たちのために泥だらけになっている。
「壊すのは申し訳ないし、もったいない」。
そう思い始めたとき、一人の若者が菅野さんに提案した。
「夏休みには大勢の学生ボランティアが来る。この家に泊めてはどうですか」
唐桑町で活動する「唐桑ボランティア団」の事務局役、加藤拓馬さん(22)。
震災直後から東京の会社を休職し、唐桑に住み着いて支援を続けている。
菅野さんにとって息子のような存在になっていた。
<基金を活用>
菅野さんは家を応急修理し、8月から学生たちに開放した。
抜けた壁や天井は間に合わせの板を張っただけ。
部屋には畳もないが、学生たちは喜んで寝泊まりしてくれた。
夫婦は食事を差し入れ、一緒に酒を飲んだ。
「この子たちに何度でも来てほしい」。
菅野さんは自宅を本格的に修理することを決めた。
「ボランティアが休憩したり、一緒にカキを食べたりして交流できる場所にしたい」と考えた。
資金をどうするか。
菅野さんは、民間が運営する「被災地応援ファンド」の利用を思いついた。
誰でも小口資金で、被災した中小企業に投資できる。
目標は1000万円。
分配金の代わりに、収穫したカキやホタテを送る予定だ。
「震災後、多くのボランティアに生きる力をもらった。
せっかくできたつながりをずっと大切にしたい」と菅野さん。
縁もゆかりもなかった若者らが、半島の町、唐桑御殿、そして菅野さんの心に、明かりをともした。
2012年。東日本大震災の被災地は「復興元年」を歩む。
ひとり東北だけの道ではない。
全国各地の人たちが支え、寄り添う。
結び、つながり、生まれる「ちから」。
被災者はその大きさをかみしめる。
(震災取材班)=第6部は10回続き

