本日2記事目


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わたしは保育園時代から

特に母に遠慮して、具合が悪い時の不安や

自分が今どうして欲しいかいえないでいたんです。


今振り返れば


母は体に対して呑気で

わたしが訴えても


それくらい大したことない

大丈夫大丈夫


と、仕事をしてました。



わたしはそれが、



わたしに無関心

大切にされてない


と、38歳まで勘違いして

勘違いが解けた後もなかなか自分で不安が言えなかったし

今も呑気な母から、ほっとかれる、と思いがちになる。



ただ、

呑気な母にしてみたら、


呑気だからこそ

娘の不安のレベルや

訴えが通じてなかっただけ。


不安にならないからピンとこないだけ。


こんな風に母の心情を考えてあげると


それはわたしにも当てはまる。



わたしは危険なことに敏感な夫の話は

わたしに無関係なこととして共感もなく、


そんなこと起きるわけない、と一蹴する。



母が不安になる

夫や主治医の一挙一動の怒られる妄想話を全スルーして聞いていない。



愛情がないわけでもなく

相手が何をわたしに求めてるか知らないだけなんであーる。



さて。

わたしは自分が不安な時は

母から気持ちを知ってもらえたら安心で、


抱っこされたら涙が出て

不安が終わりを迎えていた子でもあった。



一番安心する母の代わりに

タオルケットや紙と鉛筆。

これを用意していたらめぐみはおとなしくなり寝てる。


そんな話を何万回と聞かされて来た。


ズタボロになるまで使われたタオルは、わたしが寝る時の必需品。

中3の冬、好きな男子が窓越しに遊びに来た時に、

ズタボロタオルケットがはずかしくて押し入れに放り込み、卒業したけど




ほんとはタオルケットや絵を描くことじゃなく


不安な時は母に気持ちを知ってもらい抱きしめてもらい、

安心するまでこうしているからね。と言われたかった。



体調に敏感で

一人でなんとかしなくちゃ!の不安は

こんな背景を持ち、


これからは家族やみんなに

そうしてもらっていいと気づかせてくれる♡



父と離婚して

仙台で一人暮らしをした母が


熱を出した時がある。


わたしは自転車で母の家に行き

台所で茶碗を洗ったり食事を準備しながら、



やっぱりわたし、

ただただお母さんのそばにいてあげるね。

と、母の眠る横で本をよんだ。


何にもしないで

ただ母の息のかかる距離でそばにいた。



同居し始めて、肺炎になっていた母は毎日夕方になると熱を出し

わたしは母の隣に布団を敷いて寝た。




夜中にニ、三回トイレに起きる母が

わたしが隣に寝る時は起きない。


熱が下がると母は


アンタが隣に寝てるだけで

こんなに安心すると思わなかった。

こんなことしてもらったことなかったけど、

されたらすごく安心した、


ありがとう。




と泣いた。




不安な時に甘える、具代的なことは

気持ちを知ってもらうために自分を知り、伝えてみる。


安心するまでそばにいてもらい

抱きしめてもらうこと。


なんだ。

娘がいつもわたしに「やって〜」という可愛いアレ!


義母が入院時、みんなからされていたアレである。


わたしもそうしていい。

みんなもそうしていい。


呑気側と不安側がタッグを組んで、

大丈夫を作ればいい。



それでいいよ〜♡





Meg.