本日1記事目


メンヘラが元気になるラジオはこちらから聞けますよ♡


体メンヘラ、

パニック症のわたしにとって


呑気にしてることは❌


呑気に、自分で何も考えず

他人任せにしたらダメ!


思い込みがある。



わたしが具合悪い時、

しんどい時

休みたい時

パニック発作になる時、、



呑気にしていたら


父のような人からは、

体調管理をしなさい。

先回りしてどうすべきか考えておきなさい!と

怒られる気がしてる


母のような人からは、

そんな時、女たるもの男に頼らず一人でがんばりなさい。

と、言われる気がしてる。





じゃあ、親たちはどうだったか?



体調が悪い時、

入院や手術した時


みんなに助けられ

起きてから考えて

呑気にも生きていた。




父は、入院するたびに母の仕事を休ませて付き添わせ、片時も離さなかったし


母は、乳がん検診の定期検査で腫瘍マーカーが高くても

病院からの電話が来ても取り忘れたり、結果を気にしない。



今日は母とわたしの検査もあり一緒に乳腺クリニックに行った。


母に「どうだった?」


と聞いたら



なんか先生が言ってたけど

お母さんよく聞こえないから聞いてない。


と、全く気に留めてない笑笑



クリニックの帰り道

母はわたしとデパートをはしごして、


お母さんはあと2年くらい生きるとして


2年だから新しい服とか別にいらないの。だからいらない。

あんた見たら?


といい、


舌の根も乾かぬうちに

入った店で3着のズボンを試着して

そのうちの1着を気に入り買った。


上も見る?と聞いたら見る!となり、


そこから隣のデパートにも移動して服や本を見た。



買い物は、未来だ。と思う。


わたしは今日死ぬかも。で生きるから

大きな買い物は特にためらう。



母は、ズボンやセーターを手に取り

未来の自分と共に想像する。



これを着てあそこにいこう。




選ぶ時から映写機はパタパタと未来を映し出している。



ズボンを手に取った母は、

あと2年の命とは思わず


明日行くスーパーや散歩

来月の病院の未来、

毛玉がつかないか?と来シーズンも長く着るつもりで


歩きやすく寒くないものを選んだ。




さて、体メンヘラのわたしは

自分のゴールに、

体調や体の変化にいちいち病解釈せず、呑気でいる。


何かが起きてから考えることが幸せ

と、定義づけた。


わたしは家族や信頼する人たちの中、

体調に怯えずに

最後まで起きたことを受け入れて

健やかに元気に笑っている。

自分の体調より、誰かに何かしてあげたいくらいのおせっかいでもいる。


そのために、

呑気の練習をする。


わたしの幸せはこちら。


だから、これがハカトレ。


隣にいる夫や母は

この呑気さやノー天気さを持ち合わせて、

わたしにいつも新しい価値観を見せてくれてる。


夫は去年秋の健診で十二指腸に影が見える、

と再検査のE判定を受けてもさほど気にせずに、


再検査を受けたかったが

わたしの父の葬儀や母の骨折もあり、落ち着いてから半年後、やっと胃カメラの検査してなんでもなかった、、!


それに対してあたりめえだ。という夫にパカンとして、

わたしの健康解釈や生命力を信じる実験は始まった。


ただただ呑気に過ごして

なんかあったら考えるよ。と言っていた夫。


わたしはめちゃくちゃ病解釈して、勝手に具合が悪くなってしまったのだ。




さあさあ、

だから呑気でいるハカトレ。


ああ怖い。笑


だって病解釈や、

焦って動き回り先回りしようとした方が習慣で

わたしはこっちを楽々とやるから。


ああ、怖い。呑気でいるだなんて。




それでも呑気で何にも考えない、を今日も悶絶しながらやってみるよ♡







Meg.