本日1記事目








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私が大事にしていることに

愛情解釈や、理解、話を聴く、

尊重する。


なんかがあります。



で、

自分が相手の人格や言動で

この方とはこのくらいの距離がいる、


と、微調整することも大事にしています。



相手を理解するためにある程度知ることができたら


自分の性質と合わない部分もたくさん見つかってきます。



そんな時は

相手を尊重できるまでの距離をとります。



それがわたしの、人間関係を築く基本。



誰とでも近い距離、にはなれない

私のキャパを知り、大事にすることが


自分や相手への愛情とも考えているんです。



きっかけは父でした。



父を大好きで,もっと仲良くなりたい,とも思っていた私は


ありとあらゆることをして

父と距離を縮めたいと思っていた。



でも、父が発するひと言目には興味が失せ、

成り立たない会話にガッカリし、


そんな父の人格や存在を肯定したわたしでいるためには

青森と宮城の距離感がとても大事だと気がつきました。



母とはどんな話をしても

毎日一緒にいても

楽しい気持ちや

もっと母の話を聞いてあげたい、

守ってあげたい

頼られたい

などの想いがあり、


逆に父に近づけば

私はいつもイライラしたり

腹が立ったり

あまりの価値観の違いに認めることがやっとで、


疲弊してしまうのです。




相性というものがある。

そして、人は誰しも尊い存在。


だからこそ

どうするか?

と考えていました。



父の脳梗塞後


わたしは5年間の絶縁期間を経て

久々に父に会いに行きました。


脳梗塞後、

父からの命令や脅しがなくなり

言葉があまり出ない父と

生まれて初めて会話のラリーができた時


私はめちゃくちゃ感動しました。



私が話せばちゃんと間があり


うん、ああ、

大丈夫だ


が返ってきて



わたしがそれに返せば


またゆっくり

肯定した言葉が返ってくる。



父との関係が変わったのはその時からです。



でもわたしは

なるべく父とは距離を保つことを大事に心がけてみました。




やたらに近づかない。

自分のペースを大事にしながら父と関わる。


父からよく電話が来るようになっても


私が仕事中や、大事な用事がなくとも


自分が本当に父と話したい時に電話に出る。



父のやりたいこと(東京の施設から弘前に移りたい)は尊重したり、

わたしの幸せとすり合わせながら

晩年を程よい距離ですごせたことは、


今父亡き後も、全く後悔がないんです。



また、生前から父は干渉されるのが嫌で自分からは距離を縮めない人でした。


わたしや母にもそれを常々言ってきた人。


距離を置く師匠。



きっと父はわたしに、


絶縁期間を含めて、

距離を保って父をリスペクトしたわたしに、



オメは、おとさんの生き方を尊重してくれたね。ありがとう。


と言いたかったろう、と勝手に思っています。




Meg.