本日3記事目







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終わりを思い描く。

ゴールを決める大切さ。










時々、父と話したことを思い出す。


父が亡くなる四年前、

離婚したことと、家を売ったことを後悔していた父。


半身麻痺が残る体で、

また家を建てたい。と話した。



好きなことをして生きた父は、

同様に、家族におかまいなくも生きた父であった。


思い通りにならないと

怒りに任せて怒り、暴力をふるったりものを投げた。


大きな子供が駄々をこねるように

家の中で大暴れした父。


楽しいことは気が済むまでやったし

欲望に正直に、快楽に従って生き、


その何が悪い!と


家庭の中の人間関係と信頼を築くことに手を抜いたのだった。



父は、母が家を出た後、

わたしや子どもたちには脅しながら母を探して

わたしは母が見つかったら警察沙汰の事件になると毎日怯えたんです。



それは家族皆が、好きなことをして生きる父を優先して、

父とのコミュニケーションを諦めた結果でもありました。



怒り出すと誰も止められず、

話し合いまで出来なくなった父と


母は弁護士を立てて、家を出てから1年後

何度も調停を重ねたあと離婚。


離婚に際して財産などのやりとりを法的に約束したことは

父は守らずに、

母は、離婚しただけでもよかった、と連絡を取らず

それ以上関わらなかった。



その後、半ば自暴自棄だった父は

家族にもきょうだいにも居場所を教えずに

父は念願の都会での一人暮らしを何年か満喫して、

故郷の青森へまた戻ったのでした。



脳梗塞の後遺症で体が不自由になった父が

後悔したのが母との離婚や家族との関わりで


あれだけ好きなことをして生きた父は、

成し遂げた夢や目標や恋は通過点の快楽に過ぎなかった、

と思ったんです。



また、親しくしていた友人たちに意地を張り、

カッコつけて距離を置いていた父は

友人の訃報を聞くと、

会いに行ってやりたかった、話しておけばよかった、と悔いた。



父の幸せのゴールは、

家庭や家族であったと、思うんです。


それは2010年、わたしが父にインタビューした時に

幼い頃から親戚宅に自分だけが預けられた父が、

いつも寂しく、ハンツケ(仲間はずれ)に感じて、自分の家族に戻りたかったこと。

ぬくぬくと育った母と出会って温かい家庭を築きたかったこと。



でも父は途中でゴールを見失い、

家庭を放棄して仕事や恋愛にかまけたり、

家庭に暴君になり、仲間はずれにされないよう頑張っていた。


私はそう理解しました。



最後に、神様は脳梗塞と引き換えに、

父から怒りや言語をとり、

晩年菩薩のように穏やかで慈愛に満ちた父をわたしに出会わせてくれた。


そんな父と話すのが楽しくて

私と父はそこから愛情を与えあって、親子をやり直しさせて貰えた。


父が家庭を築きたいなら、今からでも私と築きましょ、


そしておとさんの才能の、

好きなことするマインドと、

仕事のどうせうまくいくマインド教えてちょんだいよ。

と。


わたしからは、ドバドバと愛情を与えて。



母を失い、後悔にくれた父は、

結局は母と信頼関係を築きたかったのかもしれない。


恋人はいくらでも作った父が、母と成し遂げたかったことがあったのかもしれない。


父は、後悔しきったあとわたしに、

お母さんが幸せならいい。と言ってくれた。


もうわたしに、脅し文句を言ったり

敵か?味方か?も言うのをやめて。



意地を張るのをやめて、

息子を頼り、東京の施設に行き親子をやり直し、

最後はきょうだいを頼り、弘前に帰って、きょうだいをやり直し旅立った。



それが、倒れてから本来の父に戻り

やり直した父の最高に幸せな人生。




わたしは、

父から受け継いだ、一方的なコミュニケーションや暴君をこの代でやめ、

好きなことをして楽しく生きるマインドは伝え続ける。


わたしのゴールにつなげて。



それが、おとさんとの最期にもらった1番のギフト。


父が、んだんだ。

オメはそうすればいいよ。


と応援されている気がする💕




Meg.