本日2記事目

自己紹介🍎




人気の回 皆さんからの相談にこたえています。







2ヶ月ぶりに白髪を染め。





離婚後、青森から仙台に越してきた母に

わたしはお金を払って毛染めやカットを頼んでいる。


子ども時代、何にもしてやれなかった、

という母に


今や料理以外の家事をいっさいしてもらい、

髪までやってもらってる

おんぶにだっこな50歳。


近年の母は、白内障が進み

部屋のカーテンは閉め切らないと眩しく


台所の調理台にまな板があっても見えない。



晴天が曇り空に見え、

やっぱりよくみたい!と、

手術を決意したばかり。




染めが終わり、

母には見えていない、

おでこや耳の脇にベタベタとついた染料をティッシュで拭きとった。



老いて行く母は、

前と比べたらできないことは増えたけど


今数えるのは

できることの尊さ。


母がわたしのために何かしてくれる愛情や生命力の時間をめいっぱい受け取る。


母は、昨日は体調が悪かったのに

今日はすごく調子がいいのだ、といい、


わたしは勝手に

それはわたしが母に毛染めを頼んだからではないか?と解釈する。




母に頼んだ時間にお昼寝がしたくなったわたしは

寝てからでいいよ、と待たれ、


起きたら髪を染めてもらい、

染め時間が長くないか何度も心配され、

一人でシャワーに入れるか気にかけられた。


母は自分の体調より

娘のわたしをおもんばかる。




誰かに尽くしたい人。




わたしが母に抱いた印象は

「子どもに無関心な母親」から


なんでもしてあげたい人。

尽くしたい人。



にひっくり返った。



幼い頃のわたしは、

母は不幸で、かわいそうで

助けたくて

余裕がなくて

暴力を振るう父から守りたくて

少しでも幸せを感じて欲しくて

そのためならなんでもできる、なんて思っていた。


そうして母の全てを受け入れてきて

大人ぶって勝手に疲れて、


ある日、もう

般若のような顔で父を非難する母から逃げたのだ。


もう聞きたくない、と。



あれから13年が経った。



母は、毎日わたしに愚痴っていたことをやめ、

いやいや暮らした父と別れ、

愚痴らない生き方を選んでここにいる。


全責任を負いながら。




愛や生命力をみなぎらせて

今日わたしの白髪染めをしている。



タオルは黒いのを使って。

染めが入らない部分もあるな。

洗う時は手袋してね。


母の仕事の時の顔は

キリッとしてかっこいい。



シャワー後、浴室の洗面台が

染料で黒いシミが残されて


わたしは急いで跡が残らないように古い歯ブラシでこそげとった。

それでも、ぼんやり染料が残った。



母がここで、使い終わった毛染めのコームを洗った痕跡。

白い洗面台は目立つ。

でも母の目には見えてない。



母が肺炎になったり、骨折したりするたび、

わたしは一人で毛染めをし、髪は伸び放題にした。


準備も後片付けも、洗い終わりに染料がこうして洗面台に残ることも

わたしの中だけで終わっては消えていった。


もう、母に毛染めをしてもらえないかも。そう思って片付けていた。



母に、コームを洗う場所を

変えてもらえないか?


言いづらいことを言ってみる。

だって母は元気で愛情を受け取る豊かな人だから。



お母さん。

ここでコーム洗ってくれたでしょ?ありがとう。



うん。このまま捨てると匂いがきついから

洗ったよ。


でもね洗った後にここに染料がついて落ちにくいから、

台所の方で洗って欲しいの。



母に(せっかく洗ってもらったのにごめんね)の気持ちになりながら

伝える時、ちょっと苦しい。


本当は黙って歯ブラシで磨いてもいいことかもだもの。


でも、母は



あら!ついてた?

ここで洗ったらダメだね。


となり、一件落着。




母はシャワーから上がったわたしの髪をじっと見て


よく染まった、よかった。


と言い、

わたしの量が多い髪の毛をすくい、確かめた。



アンタは赤ちゃんのとき

ティンクルちゃんだったのにね。(髪が薄くてクルクルだったの意味)


こんなに髪の毛が増えるなんてのぉ。



母から見たらわたしは赤ちゃんみたいに可愛い。

きっとずっとそうなんだよね。






Meg.