本日2記事目


自己紹介









父と絶縁してたのは5年間。


絶縁する前から、父のこと、許せなかった。


父の大きな声や命令や脅し文句。

私への暴言や批判や否定に聞こえた口癖が嫌だった。

もう聞きたくなかった。


じゃあどうして、5年間もの絶縁が解けて

私が父を許せたり、

以前よりお互いが仲良くなれたのか?といったら




父が変わったわけでもなく


私が変わったから。



わたしが、


だんまりを捨て


わたしが、


従う娘を捨て



わたしが、


何でも言う事をきく

物分りのいい娘を捨てた


わたしが


そばにいることを捨て

距離を取った。



からです。



わたしが、

「娘は父親にこうあるべき」を捨てた。



5年かかりました。




母が家を出た直後、

父からかかってくる電話にでず、

父の脅し文句の留守電を聞くのをやめて

父の電話を着信拒否にして


良い娘をやめ、

何でもしてあげた娘をやめ、


父に責任をとらせてみたら、



数週間して父は私に文句や脅しや暴言を言ってこなくなり


代わりの人を探して

自分が然るべき場所へ出向いたり

知人に頼んだり

お金を払い、やってもらいながら


調停に出て

離婚に至るまでの手続きを1年掛けてやり

色んな方にお世話になりながら家を片付け

家を売却した。


引越しでも保証人を探したり

お金をかけて人に頼んで

都会のマンションを借りた。


それまで子ども達に命令したり脅したり貶したりしていたやり方では

みながついてこれずに、

母も逃げて誰も父のそばにいなくなったら、


父は自分の愛情や生命力や豊かさを使って

人に頼んだり

自分のことを自分でして

色んなことを成し遂げていたのです。


家事を一切しなかった父は

母が家を出たあとから

部屋を片付け、ピカピカにして

調味料からこだわり料理を作り始めた。


母に、わたしに、きょうだいに

あれだけ文句を言ってきた父は


実は自分が一番好きなやり方で納得するタチで

だからこそ、不平不満ばかりだったのです。



わたしは父と離れて


父のせいにばかりしてきた人生から

今度は自分の責任で生き始めた。


5年間、父が私にしてくれたことを一つ一つ数えながら。


脳梗塞で倒れたと連絡があったのが

絶縁から5年後。


5年の間にわたしは毎日父を愛情解釈してみたんです。


父が私にしたことが愛情だったなら

どんな意味があったんだろう?って。


そして父に再会して

私が愛情で解釈した父の言動を伝えて

その全てに感謝した時


私の闘いはとっくに終わっていたと気が付きました。




感謝できない。

そんな時、あなたはまだ持ち続けてないですか?


夫に対して

妻たるものこうあるべき。


子に対して

母たるものこうあるべき。


親に対して

子どもたるものこうあるべき。



まずは自分の【べき】に気がついたら

苦しい元を捨てていい。


自分がいかに大したことない人間かを

直視するのが先。



私はあんな父より人間ができてる!なんて思っていたから

かっこつけた娘であることを捨てた時、

価値がないみたいで恥ずかしかったけど

それくらい器がないと気がついたら

もうそれが私らしさ、だった。



今日も家族にむん。としたり

感謝できないわたしなら、


それはまだまだえふりこきなわたしを

直視してない発見💕︎



わたしもあなたも、

我が器を認めて、

それでも廻る世界を体験できたら、


きっと相手に心から感謝できるよ♡





Meg.



ツキイチデーの有料音声、YouTubeでも公開してます。

親子問題、人間関係の悩みはこれでからくりがわかります。