本日2記事目


夫は自分の生命力を信じる人


靴擦れでかかとがキレても

自然治癒力と生命力を信じてるから


絆創膏を貼らずに

血豆やカサブタを作り

皮膚を強くして 

頑丈にして終わる。



わたしにはない選択肢や解釈を持ち合わせる。




それは幼い頃から積み重ねた体験。

山の中の大自然で

畑や田んぼ、木や土や川と

体で遊んで得た体感から。



親に内緒で橋から川に飛び込んだり、

川で泳ぎ、山に小屋をつくり

怪我をして治り

危険な目に遭い、生き延びる体験。



義母は夫の姉である二女を亡くしてから

末っ子長男の息子である夫を心配や義母Yahooで吹き込んできたけど


それにも勝る体験が

夫の生命力を強く信じさせたなあ、と感じる。



強固な土台は体験を重ねるだけ。




逆に、人間関係では

村社会で実際ご近所のうわさ話が食卓に上がる家庭でずっと育ち


誰かにどうみられ

常識外のことをすれば

生きていけない世界を信じてる。



わたしみたいな非常識すぎる妻を持って

目をまんまるくして面白がってる。


わたしが夫の生命力に疑ったり驚いたりするみたいに。



生命力は父にもあった。


春先。まだ雪が降る季節の弘前で

風呂上がりに一人暮らしのマンションで脳梗塞で倒れ、

四日後発見されるまで

自力でどうにか食べた後があり

廊下を這ったあとがあり、


玄関から足だけを出して、

近所の小学生に見つかり、


見事にサバイブした!



奇跡的に生きていた、と言われた父は

その後5年 生きた。


父は絶対死なねえ、という人で

会いに行くたび


コロナなんてかかるわけない

おとさんは風邪なんてひいたことねー!

心配すんな!


と言った。



それは父から、今のわたしに響くメッセージ。


気にすんな。

気になんか病むな。


オメがどうにかなること心配しねえで

好きなことしろ


楽しめ


オメが持つ力を存分に発揮しろ。 


それが生きるってことだ。





父はなぜか、他のきょうだいには言わないのにわたしの外見や服装に毎回厳しかった。


パーティがあれば

財布を渡してデパートに連れていき、

パーティに合う服を買ってこい、と言い


オメだけは、結婚して、ジャージを着る女になるな、と言い、


髪を切れば怒り、


祖母が亡くなり

急ぐあまりにすっぴんで帰ったら

今すぐちゃんとしてこい!と

祖母に会わせてくれなかった。



オメはちゃんと可愛くしろ、

笑ってろ!


それが魅力だ、

オメはめご子だ!

の愛情解釈をしたのは


わたしがこの仕事を始めてから。


父はわたしが自信なくうつむくのをやめろ、といい、

堂々としてオシャレを楽しめ、

それがオメの元気の素だ!

の喝であった。



介護付きの施設に移った父のマンションには

オシャレな父のハットやキャップが綺麗に並んでいた。


わたしも帽子が大好きで父譲りである。



父はわたしが道から外れていれば劣化の如く怒り

わたしは意味もわからずに戸惑っていたけれど


和解後は、

父と話すたび

トークショーやスナックやツキイチ声サロンの話を喜んで聞いていた。


それは、父が思うわたしにピッタリだったからではないか?と思うのだ。


うまぐいげばいい。

うまぐいぐよ。

楽しみへ。



否定ばかりしていた父が

全て大丈夫というようにもなったんだった。



昨夜父のLINEを見返していたら

わたしが撮った父の写真や

父が話している動画があって

開こうとしたら期限切れで見られなかった。



後から後から

感謝が湧いてくる。

父との激しい日々は全部愛情だと繋がるから。



今日も夫や父の生命力を信じる真似っこをして歩いてみる。


思い込んだことは

全部ひっくり返るまで。





Meg.