本日3記事目



浅葱の酢味噌和え。


冬になるとスーパーに並び始める浅葱を、


義父と共に思い出す。



1月20日、大寒の日に

義父が家の中で倒れ

義母の胸の中で息を引き取った。



亡くなった知らせを受けて

近所の人は

家人たちが病院から帰る前に

家の中のタンスやらを蔵にしまい、

障子を張り替えて

畳屋に連絡して


家を葬式会場にするための準備をしていた。






葬式は家でやる。



当時、集落の誰もが家の人がなくなれば

家族や近所の人たちが総出で

受付から会場づくり

料理の準備をしていたのだ。



義理の祖母が亡くなった時

そんな手作りのお葬式を体験したわたしは

義父の時は2回目。


悲しむ間もなく

女たちは五日間の毎日の献立を考えた。

120人分の。。!!



わたしにとって滅多に起きない葬儀のルーティンは

近所のベテランたちが何から何まで教えてくれた。



精進料理だから

五日間は肉も魚を出さずに

採れた野菜や米、豆腐やお麩で作るのである。



サラダを作る時

万が一何かあったら怖いから、と、

生のレタスはサッと熱湯に通したり


昔からの工夫や知恵をたくさん

教えてもらった。


大変な作業だったけれど

皆んながワッと集まりあれこれ言いながら

野菜の皮を剥いたり、切ったり、似たり、焼いたりする時間が好きだった。



いくつストーブをつけても

玄関は開けっぱなしで

人の出入りが頻繁なために

なかなか暖まらないい広い古民家の中。


小さな台所にぎゅうぎゅうに人が混み合いながら

わたしは浅葱の味見をした。


近所のおばさんが、

作ってくれた浅葱の酢味噌和え。



さっぱりして美味しい。


疲れた身体に

この浅葱が元気をくれた。



これが気に入り

次の日も次の日も作っては皆に出した。

浅葱はいつも飛ぶようになくなった。



玄関の庭(夫たちはこう呼ぶ)という、

玄関の靴が並べられる広いスペースには

借りてきた業務用の鋳物ガス台がおかれ、

大きな鍋で吸い物を作った。


お豆腐と舞茸と三つ葉

だったり


お豆腐にゆで卵を半切りにして

ほうれん草を添えたり。

(卵は許された)



葬儀料理に慣れた主婦たちは、

まるで旅館の料理人でもあって

わたしは毎日そのやり方をみては感心していたんである。



今日もスーパーで青々とした浅葱を手に取り、義父の葬儀を思い出した。


今日は酢味噌和えにしよう。


それと、豆腐の吸い物。

コンビは三つ葉に決定。



大きな大きな鍋に作った吸い物が

美味しくてお代わりした。

寒い玄関で。



料理はその時の部屋の気温や

慌ただしさや

皆の愛情も記憶する。



帰ってこい

帰ってこい

としょっちゅう電話をかけてきた義父の気持ちがわかるようになった50歳。



あれから15年。



今日はちらし寿司といっしょに浅葱を食べるよ。






Meg.