本日1記事目



離れて暮らす娘に、

母と作った餃子を送ろうと

宅急便センターに来た。


あ!

と、娘に明日届いていいか?を聞くのを忘れてるのに気づいて

急いで電話。



明日、餃子が届いてもいい? 


娘は仕事中でヒソヒソと答える。



ママ、明日はダメだよ。

明後日のこの時間にお願いね。




あ。そうなんだ!ごめんごめん。

明後日ね。わかった!

じゃあね。




わたしは


娘たるもの

母親の好意や愛情は何が何でも無条件に受け取るべき。


と思い込み

自分は親の言うことを

イヤイヤながら従う娘だった。



だから、幼かった娘が時々

母であるわたしに嫌そうにしたり断ったりすれば

劣化の如く怒り


親のしたことをもっと喜びなさいと命令した。



娘の服を勝手に買い、

娘の人間関係に口を出し、

娘の部屋を勝手に片付け、

娘の進学をわたしが調べたりしては


娘が喜ばないと叱りつける母。




そのうち娘は、

気に入らないと不貞腐れた態度でイヤイヤと親にしたがっていた。



なんで娘はこんなに不貞腐れてるのだろう。と思っていたが、


親には従うべきメソッドの、

わたしのコピーのようにしていただけだったのだ。




2010年、娘が小学生の時に

わたしがカウンセリングを受けて


いかに自分が

親たるもの、娘たるものこうすべき。で生きているのに気がついて


頭をかち割られたくらいの衝撃を受けた。



わたしが1番なりたくなかった

独裁的な父やだんまり母、そのもの。



そこから、わたしと娘を

いち人間同士として

気持ちや感じ方の違いに⭕️をする日々。



不貞腐れてだんまりしながら

嫌なことを嫌だと言わなかった娘は



わたしに言葉で感じ方を伝えるようになった。




愛情や好意や親切はただ受け止め、

自分が嫌だったり興味がなければ断る。



わたしがしてこなかった

親子のコミュニケーションをやり直させてくれた娘。





夕方には

わたしからの餃子と

箱の空きスペースに入れた

ママの焼いた食パンと隅っこには

キットカット。(←頼まれてないのに入れた笑笑)

が届くよ。



娘に何かあげたくて、

してやりたい。

そして軽々と断られたり受け入れられたりする。



そうして断っても

愛情で繋がってる。



そんな親子をずっとずっと夢見ていた。


そんな家族をずっとずっと作りたかった。



そして今日も明日もずっと叶えている。









Meg.