本日4記事目


マンションで暮らし始めてからよく空を見ている。


今日の風の強さは

目の前にある雑木林の揺れ具合が判断基準。



今日はイオンでコスメ見学したい。

と言うわたしに夫は、じゃあ、いくか。


と自転車を引いて歩き散歩。




引っ越してから

夫といろんなスーパーに行き


わたしはその度に

もし一人で来たら、とシュミレーション。



今日夫はイオンについたらATMコーナーに行き

わたしはコスメ売り場に別行動。


別れ際、軽く脈拍が不規則になって途端にくじけそうになる。



一人で練習

一人で練習



と唱えながら、



え?一人でいつかイオンに来る気ある?

と自分に突っ込む。




わたしは、

25歳で妊娠して、

破水して病院に行ったら


看護師さんはついてきた父や母を家に帰し、

わたしだけが陣痛室に行くことになった。



不安そうにしていたら

当時の看護師さんは


あなたね、これからお母さんになるの。


どうせ一人で産むんだからね、

お父さんお母さんがいなくても頑張んなさい。



と、そんな感じで言われて、

(気がしただけかもしれない。

その病院は甘やかさない、という教えがあって厳しいことで評判だった)



わたしは、その言葉にスイッチがはいり、

お産までの時間を陣痛室で一人で過ごすことは当たり前。

と思えた。



陣痛室で一人でいて

置かれたマンガ本を全部読み、

この痛みで、ナースコールしていいものか迷い

結局押さずに、ウンウンと唸りながら耐えた。



我慢できないかも。と動けなくなりやっとナースコールを押したら

看護師さんが数人慌て始めて


わたしはそこから30分で出産した。



それくらい、痛みにも苦しみにも一人で耐えるべき。が強固なんである。



(看護師さんにはあとから

我慢しすぎ。痛みを感じないのか?と言われた!)




看護師さんや病院の教えを選び、

出産して退院後も一人でやる練習ばかりした。




アパートに帰ったら夫には頼まずに一人で沐浴させるんだから。と

親にも、一切手伝いを頼まず


授乳や寝てる間の搾乳

ゲップだしやおむつ替えを

「ワンオペできるように」トレーニングした。


里帰り出産は、そんな激務の思い出。



アンタは何にも頼まない子だった。手がかからなかった。

by両親


幼い頃から痛みや苦しみに耐えるのは当たり前で日常だった。


それが親に負担をかけないで

愛される方法。





さて。イオンでもわたしは

夫がいながら、

一人になったことばかり考えてる。


一人で買い物に行けないと。


一人で銀行に行かないと。


一人で病院に行かないと。



ああ、また同じことやってるんだ。

あのワンオペトレーニングと同じことを。



ワンオペ育児は結局、

わたしがパニック発作が出て

強制的に終わりになり、

周り全てを巻き込む育児へと変わり


みんなに育てられた娘は巣立ち、成人して一人暮らしを楽しみ、まじめに働いている。



わたしが一人でがんばらず

皆に頼り助けてもらった子育ての結果が、

幸せへと繋がっていた。



一人でやらなくちゃ。


そんなこと無理である。


または、そうなったら考えようよ。



出産した年が25歳。

あれから25年。


あら。まだ同じことしてる笑笑



コスメ売り場に1時間。

イオンのスーパーで卵と牛乳を買った。

夫と密着しながら。


一人でやらなくていいや。と諦めて、

夫とふたり、歩いて帰った。



また一緒にイオンに行こうね。

二人で見た夕焼けは今日も美しかったね。




Meg.