本日1記事目



久々に母と、餃子作り。



白菜、にら、キャベツ、ねぎを

二人でみじん切りにしながら

あれこれ話す。







アンタさ、みじん切りにチャチャってできるの買ったらどうだろ?



いやいや、お母さん、アレいちいち洗うのめんどくさくない?



ああ、そうだね。


場所もとるしねえ。



そして何より、

チャチャっと終わる便利さより

みじん切りしながら母と過ごすこの時間が好きである。



包んだ餃子は、二人がおきやすさ、が最優先で並べられる。






そして、それらは几帳面な夫から驚きの眼差しで見てみぬふりをされるのだ。笑笑



母娘は全くこの並べ方を気にせずに、

この手間暇の労力だけをたたえあう。


よく刻んだよね。

よく包んだよね、と。



「あの奥さん。心配。どうしてるべか。」


と突然言う母は、

自分と同じように暴君夫と暮らしていた昔の知り合いの話をしはじめた。



母の不幸劇場は

すぐ誰かを可哀想な人にする時がある。

自分は大変だったから

相手も同じ、と思い込んで。



ふーん。心配ねえ。


でさ、あの奥さん、

旦那さんにめちゃくちゃやり返してた人じゃなかった?


か弱い人じゃないんじゃなかったっけ?



わたしのパスは

母が語る可哀想な奥さん、の

過去の輪郭をはっきりさせることに成功。



母は、

ああ!そういえばそうだった。

あの奥さん、旦那さんに負けじとくってかかってた。

お母さんそれ聞いてすごいなあ、ってビックリしたんだった。

と思い出し、




そんなタマ、じゃないよねえ。

そんな可哀想な奥さんじゃないわあ。

自分の気持ちを言える人。

嫌なことを嫌だと言う人。


お母さんのように、

嫌なら家出する。



ああ見えて幸せ。

ああ見えて大丈夫。



きっと今でも喧嘩しながら仲良いね。

喧嘩するくらい、元気だろうね。


餃子を100個包み終わる頃

母の話す不幸劇場は

幸せなだいじょうぶ劇場で幕を閉じた。



夫をおいて、家を出た母は

自分が、知り合いからどう思われたかを気にしている。


何も言わずに飛び出して

それっきりとなったたくさんの人たち。



迷惑かけた、と時々思い出す母。





そうだねえ。

アレから10年経ったねえ。


と話したら母は、



ああ。10年経ったら

お母さんのことなんか、みんな忘れてるかあ。

10年だもんねえ。


みんな年寄りになって

自分で精一杯かあ。


と笑い、



いやいや、死んでる人もいるよね?

おとさんもいなくなっちゃったー


と返したら

二人でおかしくなってゲラゲラ。



どんなに大変でも苦労しても

迷惑かけても、


結局は

母も父も幸せな方を選んだ。

幸せに生きている。


誰かもそうなのだ。



不幸をやめた幸せな母と

こうして今日も南側の日が当たるリビングで

餃子を包んだ。



もう誰のせいにもしない

自分の人生を歩きながら。



Meg.