本日3記事目



母から父の話を聞いて



え。可哀想。

お母さん酷いことされてる!

お父さんひどい!!



と思ってきたわたし。



母を、可哀想な人

不幸な人


わたしがなんとかしてあげなくちゃ!



と、父と母の間を取り持つ伝書鳩をしては

父から夫婦の間にオメが入るな!と怒られた。笑笑




母が家を出たのが2012年。


わたしは母を、父を


可哀想で不幸な母、から、

暴君で攻撃する危険な父、から


解決できる人

大丈夫な人、ときめ、


二人を放っておくことを決めた。




母は自分から色んな人に頼み

シェルターに行き、

専門の人が母を然るべき安全な場所へと保護してくれたし、


父はわたしに毎日

母に危害を加えるような脅しのメールや電話をしてきて



わたしは二人それぞれが決めたことを応援する。

だけ伝え、

父からの電話を着信拒否した。




親が愚痴る時に聞かない娘は親不孝だと思ってザワザワしたし、


泣いたり叫んだり暴れたり

飼っていた犬を育児放棄した父を放っておくことは


毎日息が苦しくなるほど悶絶した。



わたしは夫や友人に、自分の気持ちを吐き出して聞いてもらい

なんとか日常を、

朝が来たら夜を待ち

夜寝たら朝を迎える


そうやって一日一日過ぎるのを待ち、


母は安全な場所で気持ちが落ち着き

父はわたしに色々言うのを諦めて


やっと自分のことができるようになったのだった。



あの日、親のことを大丈夫な人と決め


親は幸せな道へ自分から歩める、と決め


わたしはそれでも愛される娘だ、と腹を括ったのだ。



あの期間を経て



母も父も離婚をし、

あれから二人は違う道を歩み

人生を謳歌し始めた。


愚痴らない母とわたしは暮らし始めたし


自由な父は家を売り、

恋人を作り、都会に一人暮らしをした。




母はあの期間があったからよかった、といい、


離婚後、都会暮らしをした父は

最高だった、と教えてくれた。



わたしがした、

放っておく、を恨まれるどころか

二人は自分たちの道を歩き出した歴史に刻んだのだ。




両親の最大のギフトは

こうしてわたしにもたらされた。

わたしは親のおかげで

いまや、どんなに不幸を語る人が現れても信じない。


あなたは、大事にされる人だと言い切れる。



だってそうだから。



不幸や被害者を信じず

あなたは幸せで、加害者でも被害者でもない


と、わたしに、目の前の人に語りかける。



それはわたしが目の前で体験したあの両親との

不幸劇場が、全くのコントだった体験があったから。



絶対可哀想

絶対不幸

は、


あれでも幸せ

あれでも順調

あれでも仲良し

になる。


わたしの見方次第で。



わたしは自分が大事にされ

愛される、と信じる。

それしか真実がないとばかりに。


目の前のあなたも、そうに違いないと。







Meg.