本日3記事目



イタズラやほんの出来心、とか

承認されたくてつい、


炎上するようなことで注目されてみる。



で、そうやって構ってもらったり注目されたことしか知らないと


ついついまたその手を使ってしまう。



わたし、ずっと

親に構ってもらえるのは

自分が拗ねたりいじけたりした時だと思ってました。



わたしの祖母は「炎上かまって婆」で、


廊下でわざわざ寝ころがって、心配させて注目を集めたり


交差点を信号無視で渡ってはみんなから注目浴びたり、


夜中に冷蔵庫から食べ物を出して

明け方見つかりみんなから怒られる、

をしてみたり


拗ねたら荷物を風呂敷にまとめて、家出してやる!と言い止められるコント劇場を繰り広げた。



なんでおばあちゃんは、みんなを困らせるんだろう?と


子どもながらに不思議だったんです。



ただ、かまってもらいたかったんだ、


注目を集める方法がそれしか知らなかったんだ、と

気がついたのは


自分も拗ねてかまってもらうやり方をやってたから。笑笑

ああ、ばーちゃんとそっくりだった。。



親が困るようなことしてみたり

怒らせたり困らせることを考えては

忙しい両親がこっちをみてくれる

それしかない、と思い込んでた。



でね、

素直で正直で

好きなことして生きてるわたしでも、

可愛いわたしでも、

ポンコツなわたしでも、


親はとっくに

親なりに、みてくれていたんです。



それに気がついたのが40代、、。



わたしと違い、

娘はどんな自分でも親から注目されると知っていて


かまいたいでしょ?

かまわせてあげてもいいよ〜💕

わたしのこと大好きだもんね!


の可愛い娘のスタンスでいる。笑笑


その娘を見ていたら

わたしも親にこうして

愛される、可愛い娘でよかったんだ、となりました。



実際2018年に絶縁した父と

5年ぶりに再会したら、


父は

わたしがどんな時も

夫婦や娘や、仕事のことを

父なりの愛情で気にかけて、


オメは大丈夫だ

オメならできる

なも心配すな


と言ってくれた。


つまり、

拗ねをやめて

大事にされるわたしには

もうその言葉しか入ってこなくなったんです。



拗ねていたわたしが父や母を見ていた時、


どうせわたしのことなんかどうでもいいと思ってる。


と話を聞き


どうせ、親は自分たちのことしか考えてない人。


という目で見ていたから


聞こえないし

見えてなかったわけです。



それで、わたし自身が

こんなわたしでまあ、いっか、と⭕️をして


こんなわたしだから可愛いでしょ?

大事にされているなあ。




と思えたら

見える景色や聞く姿勢が変わってきたのでした。




親の愛情を信じない時は

注目のされ方は

拗ねる一択!

愛情が返るはずが、親からの批判や非難、落胆が返ってきた。


大事にされたかったわたしには

反対の結果になった。


また、拗ねのループになった。


逆に、娘のように、

大事にしてくれてありがとう💕と言ってると


今度は愛情や愛おしい注目が集まる。ループになる。


さて、いま回転寿司のスシローが色んな方の励ましや応援、

スシロー大好き💕

スシローに食べにきたよ〜!

スシロー美味しい〜!の拡散でも注目を集めてる。


こんな風に

愛情でも注目は集まるし

炎上でも注目は集まる。


わたしはどんな人生を送りたいかなあ?とゴールを思い描いてみる。


わたしの幸せと感じる人生ならどうしたいかなあ。

と。


ああ、スシローテロがやばくて

お寿司が食べたい〜!




節分に作った太巻


Meg.