本日1記事目



コンコン。

めぐちゃん何時にお風呂入る?


毎晩7時すぎると3人がそれぞれノックして

わたしがいつお風呂に入るか聞かれる。


わたしは毎回、

いつでもいいよ、とか

みんなの後に入ったり

みんなが帰る前に急いで入ってた。



人と関わると、こんなふうに面倒なやりとりがあるから

1人でいたい、と思っていた。



19歳からの下宿生活。

実家から初めて出て体験したのは

短大の4人の女子との生活だった。



実家暮らしの頃

父がしきり父の命令が絶対の中にいたわたしは


家族の間柄で相手に予定を伺う、とか

わたしはこうしたい、と言わずに育った。



そして下宿生活で、人と暮らす煩わしさに困惑していたのだ。



何時に帰るから、とか

ご飯はいる、いらない

お風呂はいつ入る、入らない

台所でテレビを見る、見ない



他の3人は毎日わたしに聞いてくれ、自分はこうしたい、と交渉してきて


わたしはだんまりして

人に合わせる。



だから毎回疲れて1人になりたかった。

人と何かをする時、わたしは合わせるべき、と

思い込んでいたから。




自分の意見や気持ちを言うことに慣れてなくて、

面倒で恥ずかしかった。

できれば察してほしかった。


察してくれないのは当たり前。

わたしと言う人物を一切自己紹介していなかったから。


でもそれがわたしの、慣れ親しんできたやり方だった。




この面倒で厄介なことが楽しくなったのは

外国人YOU達との出会いや

結婚して新しい関係を築いた時。


特に結婚は衝撃的で

夫の実家に泊まりに行くと

そこは交渉や譲り合いや感謝の

"るつぼ"だったから。



お茶を飲むか飲まないか?

茶碗を洗って欲しいがお願いしていいか

野菜は好きか嫌いか

お風呂の順番はどうするか


家族の他に客人がくれば

また交渉ごとは増える。


何かお願いして、やってもらえばお礼をいい、

できないことははっきりと伝え


家族一人一人の役割や得意なことや輪郭がはっきりとしていた。


ぼやけて紛らわすわたしとは正反対に。



お先におふろいただきました。


毎回義母や義姉は言う。


次に入りたい方どうぞ。

あたたかいうちにどうぞ。



この簡単な言葉を口にできないわたしは、人をつなぐ美しい言葉のやり取りに毎回感動して圧倒された。



わたしの親や兄妹は

ありがとうや譲り合いより

お互いをけなして笑う、ということで繋がっていたから。


新しい繋がりは

夫の実家が手本になり


おふろ先にいただきました

いいおふろで疲れが取れました


ああ、よかったね



先に入る人に、ゆっくりどうぞ、と一言声をかけて


ありがとう、とゆっくり入ること。



勝手に寝る、より

おやすみなさい、また明日。と皆にいうこと。



ある日弘前に帰り

こんな義母や義姉とのやりとりを家族にぽろっとしてみたら


父が、

いい結婚したんだなあ、

オメはいい家族と会った、と私に言ったのだ。


客人がくれば 

ゆっくりしていってね。

久しぶりに会えて嬉しい。

お茶がいい?コーヒーがいい?

と聞き、


遠慮なく言ってね。と

言えるわたしに。




父と別れた母は、

シャイでディスりしかしなかった家族の中から

わたしと暮らすようになり


寝る時はリビングに顔を出しおやすみなさい、といい、


部屋の中にお昼のトーストを持って行く時はご飯いただきます、と顔を出し

ごちそうさま、と言いにくる。



誰より遅くは入っていた母が、

先にお風呂に入っていいかを聞き

ゆっくりどうぞ、と言われ安心して湯に浸かる。


母の育った家は、その言葉が存在していた。

父のパワーにかすみ、よく見ていなかっただけで

母はその習慣を離婚後に取り戻していた。



家族をつなぐ言葉、という新しい魔法を手にしたわたしは


「人に合わせるくらいなら1人がいい」から

「みんなといてもわたしらしく」いる。


みんなといれば、

この面倒で厄介な言葉を使うことができる、と楽しむ。



ただいま、と皆がいるリビングに顔を出しおかえり、と言われ、


安全に帰宅したことを家族は喜ぶだろうと思う。


おはよう、と母の部屋に顔を見に行っていた娘は夫ゆずり。


今東京で、誰にもおかえりと言えない家に帰り


仙台の帰省をカウントダウンする。


また面倒なやりとりをする家族のもとに帰るのを心待ちにする。



ああ、なんて面倒くさいんだろう、と毎日思う。


ああ、なんて楽しいんだろう、とブログを書きながら呼び止められて中断しながら家族のことをしては愉快な気分になっている。






Meg.