本日2記事目
父は人の話を全く聞かない人であった。
学校やお友達の話
テストや部活の話
何を話しても
父は自分の話にして返した。
黙ってろ!
しゃしねえ!(うるさい)
かちゃまし話すな!(混み入った話をするな)
かちゃくちゃねー!(めんどくさい)
それより
ワの話聞げ!!!
お父さんはお父さんはお父さんは、、
そんな風に話を聞いてもらえずに育ったわたしは
聞いて聞いて!!
認めて認めて!!
の
無いからわたしにクレ!のクレクレ思考になり
父と同じく、話を聞かない大人になった。
父の周りには
父にいつか認められたいと
自分のしたことをわかって!
認めて!と
言う人ばかり。
そして、親にそうされたことがなかった父も
周りに聞いて!認めて!理解して!
と言いまくっていたのだった。
聞いてくれない父に
聞いてもらえてないと思う人ばかりが集まり
延々と互いがひかず、
聞いてもらおうとする。
わたしは娘や夫や友人にもこうして話を聞かずに
コミュニケーションしている気になった。
2010年にカウンセリングを受けて生まれて初めて人に最後まで気持ちや意見を否定されずに聴いてもらった体験から
わたしの中に満足した温かいものが流れた。
父が倒れて弘前に駆けつけた時
わたしは初めて自分の話を聞いてもらうことは諦めて
わたしから父の心の声を聴こう、と決めた時から
父はわたしを認め、聴く人となった。
生きてる間に話を聞いてもらいたい人はたくさんいて
これしてやった
あれしてやった
と父が倒れてからたくさん聞いた
その通りに、倒れてからの父は何もかもをしてもらっていた。
うまく話せない父は無口に変わり
聞く役割として菩薩のように存在した。
父の旅立ちを見送りながら
幼い頃から我慢して
兄として大人になり頑張って
家族のためにしてきた父や
お金がなくて貧乏で
住む家や生活に困らない暮らしをさせたいと
踏ん張ってきた父を
一部分だけでも
わたしから理解して
父を満たしてあげたい。
Meg.