本日4記事目



父の葬儀で弘前にいる間、わたしには

いつも義母や義姉から流れてきた愛情にも包まれていました。



義父が亡くなった2007年、

青森の父に知らせたら、

すぐに福島まで来てくれたのですが


当時の父は、


葬式などはただの形式的、表面的なもので


どうせ形ばかりだ、という考え方。



自分が娘の嫁ぎ先の葬式に行っても

ちゃちゃっと挨拶したら帰る。


こんな感じだったのです。

もちろん父が、人見知りで知る人があまりいない中に長くいることも苦手でした。



実際、青森県や北海道のある地域は、

福島と比べると

冠婚葬祭は実にあっさりと合理的で


結婚式は受付で財布から現金を出して皆一貫の会費として払うシステム。


弘前の葬式は初めに火葬を済ませ、通夜や葬儀はお骨とのご対面。



わたしはもしかしたら、開拓地で移民が多かった北海道の文化が青森におりてきてるのかな?と思っています。



父が義父の葬儀に来てくれた時、


義母は父を見つけると

すぐに駆け寄り



めぐみちゃんのお父さん、遠いところよぐ会いに来てくれだね。


うちのお父さんはね

めぐみちゃんのお父さんが大好きだったんだよ。


大好きだったから、今どんなにか来てくれて喜んでっかわがんねよー

ありがとない。 





と、自分が一番悲しくショックを受けていたのに

父がきたことをそう労い、心から、日頃から思っていることを伝えたのです。



家に着く前からわたしに

「とにかくすぐ帰る。」

と言っていた父は

義母の言葉に泣き崩れていました。


そんな風に言われたことが一度もないからです。

(わたしも結婚後に初めてディスりがない、ストレートな愛情表現をしてもらい驚きました)




父は見かけや人からどうみられるかばかり気にするタイプ。


そして津軽弁の愛情表現はディスりで、

反対言葉なら口にしてそれを察する文化。

口にしないのが主流。


義母や義父はストレート。

そして見栄をはる見方がないことを

改めて知った瞬間でした。



弘前の親戚の誰かが、

わたしの義父母の話をした時に


めぐみちゃん、会津の田舎の嫁さんになっていろんな風習やら

嫁姑とか大変なんでない?


と言った時に


あの父が、

あの人たちは誰の批判もしない人たちで、

めぐを本当に大事にするすごい人で

なかなかみない人たちなんだ。


と珍しく言っていました。




会津で、

義理の祖母、義父、義母の通夜から葬式までを


全て手作りで体験したわたしは


義母や義姉がそう言う時にみんなにどんな対応をしているかを間近でみて毎回

愛情表現の素直さに感動していました。



父にだけではなく

来た人全てにそうなんです。



葬式をやる時に

亡くなった知らせが入れば

近所の人は勝手に家の中に上がり

箪笥や家具類を一斉に蔵に運んで

葬式会場を作ります。


祖母が亡くなった時

わたしはまだ新婚。


亡くなった知らせを受け、家に着いたら近所の人が家具を運び

障子や畳を全て取り替えていて

受付の会場まで設営していて

とにかく驚きました。



義母がなくなった2014年までそのスタイルの葬儀をして


故人と関わりがあるすべての人が時間や手間をかけて

亡くなった人を送りました。



それがわたしにとってはすごく大変でプレッシャーにもなったけれど

義母や義姉をみてるうちに

この愛情の注ぎ方が気に入って

普段の生活から愛情解釈として取り入れています。



弘前の葬儀中、

考え方や意見が違う中、

義母がわたしや父にかけ続けた言葉がずっと流れていました。



みんなで台所に立ち、精進料理を作って

みんなが思い出話をして

団子をこねては、誰のが上手だ、誰のが大きくて立派だ、と話す。


近所の人はみんな仕事を休み

故人のために尽くす。

一生の終わりにみんなで送り出してやる。

それが会津で教えられた弔い方。


今はセレモニーホールでそこまでしなくなりましたが、

愛情の魂は残っています。


あっさりと終わる津軽スタイル


とことん人に尽くす会津スタイルも両方体験して


MIXしてみたのがMeg.式の父の弔いになりました。



そして一見ディスりやブラックユーモアばかりの津軽人たちも

叔父のように、話をちゃんと聞くと並々ならない壮大な愛情で動いているのがわかり


そういうことだったかあ。



と、今もじんわりと愛情を纏い続けています。







父の運転する車で何度も通った弘前公園の通り。



与えられるものこそ与えられたもの




Meg.