本日3記事目



車の運転をしていた叔父が

免許返納後に、

バスや自転車の生活になりながら

父の顔を見に施設に行ってくれていた。



父のことを考えて

父のことを全てやってあげてから自分は死ぬんだ、

それが自分の人生なんだ。

と笑って言っていました。


それは叔父の奥さんも同じで


わたしが聞くたびに



めぐちゃん、

わたしらは、好きでお兄さんの世話させてもらってるんだよ💕


とだけしか言わない。


聞かないと何をしてあげた、も言わないんです。




わたしの祖母の姉は独り身で、

亡くなるまでを、何もかも面倒みてくれたのも叔父夫婦。


この夫婦はこうして、自分達家族を形成しながら

他の人のことも最期まで面倒みてきているのでした。



私たちが泊まっていた葬祭場に

いつも寒い中、雨の日も

大丈夫?と自転車や歩いて来てくれて


ある日、夫が帰り叔父夫婦を送ったら

歩くには距離があるとわかったのです。



こんな寒い中、朝早く来て夜遅くまで私たちを労い、

ゴミまで持ち帰る叔父たちに

何度も感動していました。



通夜や葬儀のことを

もしも弟が来られない時のためにも事前に打ち合わせもしていて


でも実際父が亡くなり

弟が式に参加できなくなり

喪主は叔父になりました。


亡くなってから会場をみて、現場で気持ちが変わることは沢山ありました。



家族葬だからこうしよう、と決めていた段取りに、

やっぱり

久々に会えた親戚に

寒い中集まってくれた皆に、

次はいつ会えるかわからないから、

お弁当だしてあげたい、になり


昼、夜、昼、のお弁当を選び決めたり、


香典はどうするか

香典返しはどうするか


選んだ写真を遺影にするまでの頼む手間、

(全部車がない状態で色んな手配をしていた叔父夫婦)



色んな斎場がある中で

便利な場所、

広い部屋にしてくれて

私たちが寝泊まりに困らないようにしてくれていた。


線香の番をする役割のわたしたちが、交代でご飯が食べられるように

ご飯どきに帰らずにいてくれたり。

(叔父たちは葬式に慣れているから色んなことをわかっている)



段取りは決めていても

実際その日になると思いもしないことが多々起きてきても


そういう場面になれてきた叔父は歳もあり、混乱しながらも

責任を持ち決めていってくれた。


最近忘れやすくて困るなあ、といいながら

あれだけの決めることを把握して方々に連絡を取っていた。



わたしは叔父から父への熱い想いも聞いていたので

このお葬式のゴールを共有して



父ならどうしたいだろうか?と考えたり

叔父が父に贈る最後の愛情がこのお葬式なんだな。と、

毎日悲しみより温かい気持ちで叔父とやりとりができました。



遺影は、いくつかの候補の中から

父が倒れた後、菩薩になり笑う優しい顔の写真をわたしたち子どもたちが選び


せっかくの顔が隠れないようにピースサインをした指をデジタル加工で消していただき、

父が大好きだった紺の着物に合わせてかっこよく仕上げてもらいました。


おしゃれが大好きな父が喜ぶような遺影になり

家族葬の時も大きな画面に笑う父が写って、華やかになりました。



おじちゃん、カンペキ💕

とわたしからもお礼を言って

みんながいい写真だ、

かっこいいね

と声かけてくれた。



叔父夫婦は、兄が喜ぶような

兄に感謝するような式にして旅立たせてあげたいだけで


わたしから労われたいとか

褒められたいとかなくて

無償の愛情で今までやり続けて来てくれてた。


だから、わたししか知らないかも知れない、と思って


弟たちに話してみたりしています。


火葬、通夜、葬式と

わたしは叔父叔母の娘のようになり

もしかしたらわたし一人がそこに立ってあれこれ決めていたかも知れないのに


ずっと一緒にそばにいてくれて


隣に立っていてくれた。


挨拶をしてくれ、

段取りをしてくれ

各手続き

お寺の手配

お弁当の手配、

寺の手配、

法事の日を決める、

みんなの予定聞く、

墓の手配、

墓の掃除、

etc..


大変だ、疲れたと一言も言わずに

78歳の叔父と叔母がずっと動いていてくれていた。



責任を取ると決めた日から今まで10年経った。


叔父は危篤の電話を受け取り

一人でこれからのことにサインをして

ハカハカして具合が悪くなるほどのプレッシャーで父がなくなる時間まで過ごしたようだ。


想像したら、

わたしは感謝でいっぱいになった。



葬儀でわたしが泣いたのは

父がこんなに大事にされて

最後の最後まで一貫した愛情で包まれていたから。


叔父や叔母にしてもらったことを書いたら

紙に5枚では収まりきれなかった。



バタバタして悲しくもならずに

ただただ父を想う叔父や叔母の行動に、

言葉じゃないありあまる愛情に

安心して感謝したお葬式


モニター画面(今どきはデジタル写真!)にうつる笑顔の父に



お父さんはやっぱり愛されてたんだねえ。


でももっと素直に、優しくしたかったでしょ?

もっと弟たちにわかりやすくお礼言いたかったんじゃない?


と心の中で会話してました。


魂になった父はわたしが知った全てを感じてるんだろう。

叔父から聞かされなくとも。



父からの最期の贈り物は

叔父からの愛情。

父もきっとわたしに

おとさんだって形は違うけど同じことしてたよ!と

言うに違いない。






Meg.