本日3記事目




父にやっと気持ちを言うトライをしていた30代の頃、


父がわたしに、

批判や口出しのようなことではなくて


ポロリと出した本音があった。






おとさんは

ずっと

はんつけさされでる。







え。。?







はんつけ、とは

津軽弁で「仲間はずれ」の意味。




父は、



おとさんは、オメだぢから

はんつけさされでる。






そう話したのだ。




聞いたら、


わたしが実家に電話して

父が出れば



オメ、ちゃんとしろ。

オメ、アレやれよ!



の言葉が出て、



わたしはすぐその話を遮り、

お母さんいる?

いなければまたかける。




そう話していたこと。





それが父にとっては

会話を拒否されて

家族から仲間はずれにあっていると拗ねていたのだった。







あんなに脅威だった父は

弱々しい人かもしれない。



初めてそう思った。







母に物を投げつけ

暴れた父。



父の言うことに意見すれば

もう一回言ってみろこの!と怒鳴られた。






そうか、

はんつけが怖くて、寂しくて

父はあんな言動でしか

家族を繋ぎ止めておけなかったかもしれない。





誰より誰かにそばにいて欲しいのに

近づこうとすれば刃を向けた父の


家族から仲間はずれに合う思い込み。




父が、それからわたしに話してくれた

父の幼少期は、まさに父が家族から1人「はんつけ」にされていた記憶。



自分だけが、親戚の家に預けられた。

迎えを毎日待っていたのに

親は迎えにきてくれなかった。

小学1年から中学まで

父は親戚の家に住んだ。






どうせオメだぢもそうだろう。






それを聞いた時にわたしは

父がなんであんなに家族を威嚇して、暴れて、拗ねていたかを理解した。



怖かったんだなあ、と。




離れていくと思う家族を繋ぎ止めたくって

怖い父になったんではないか。




オメはおとさんがいないと生きていけないよ

オメはおとさんがいないと不幸になるんだよ


どうなるかわがってんのが?





そう脅した父の決まり文句。




今ならね・


そんなこと言われても信じない。







で、わたしは

父が暴れればなんとかなだめようと近づいた。

なんとか機嫌をとらないと、と側に行った。



母が死んでしまう。とも妄想した。わたし、父のアップダウンが怖かった。









父が暴れるたび、構ったことは、

父を勘違いもさせたんだなあと思う。





今、わたしはどんな人でも


拗ねている人に近づかない。




それはわたしが、長年父との間で

近づいたり離れたりして学んだことである。





そして、今。素直で可愛い父に

こちらから近づく。

父にありがとうと言い、

父の話を聞きたいと望み、

父との時間が愛おしい。





母の入院に気を取られ

父のことを忘れる。



忘れながら

ふ。と思い出すのは

自分も同じようなことをする時。


どうせ助けてもらえない、と

自分からだんまりして

その環境を作る。





父も皆が離れることをよくした。


そして

ほら見ろ。やっぱりオメだぢがはんつけにしてる、という手法。




今の父は、

わたしから愛されてると思い込み、

こういうわたしを温かく見守ってるとうぬぼれる。



会うたびに大好き。と言って

長年勘違いしてすれ違った分を巻き返しながら。




筍ご飯。




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