本日2記事目




23歳の時に

チャイニーズYOUとカナディアンYOUに出会いました。


この出会いまで、

心から友だち、と呼べる人は

短大で出会った一人くらいしか思い浮かばない。



というのも

わたしが、高校まで人が怖いまま

自分の気持ちより相手を優先して

自分を偽りながら付き合ってきたから。





そんな、付き合い下手のわたしが

根底から、


人との関わり方を変えた人が

チャイニーズYOU、カナディアンYOUでした。




でね

心友ってなんだろう。って

当時も思っていたんです。


チャイニーズYOUは

とことんわたしに問うてくるし

ぶつかってもくる。


友だちとケンカする、というのも初体験。(でも相手は当たり前すぎてケンカとも思っていない)




メグ、あなたは心から心友とよべる友だちいる?


こう聞かれた。


YOUは、


中国では、一生に一人、心からの友達ができたなら、

その人生は幸福である。



例えば友だちの家が火事なら

火の中にはいって助ける、

メグにはそんな人がいますか?



と。




わたしはそれを聞いて

今友だちと思う人にそれができるだろうか。。と黙ってしまった。






そしてね、

そうか、わたしもこれから

人とそんな関係を築きたいなあ、って思ったんです。23歳。





チャイニーズYOUの家には

毎日通いました。


漢和辞典、国語辞典をもって、

最初は漢字だけ、

たまに英語を交えて会話。

(Youの英語はイギリス英語でわたしはアメリカ英語と知ったのも驚きでした。laundryがYouはロンドリィ、と発音して意味が全くわからなかった!)




そのうちYOUが猛勉強をして日本語も上手になった。


そんな毎日を過ごして、

来日当初、

日本が嫌い、と話していたチャイニーズYOUが

一年後にわたしに絹のハンカチをくれたんです。



あなたはわたしの心友、と言いながら。




心友の意味を知っていたから、

泣いちゃいました。



あの時もらった絹の、花の刺繍のしてあるハンカチは

娘が生まれた時の臍の緒を入れた箱を包んでいます。






心友。


今ならどう例えるだろうか。と思うんです。



論語にはこう書いてある。




六尺の弧を託す可く

  


と。


つまり、

心友とは、何か?


あなたの幼少の子どもを

誰かに託したいか考えよ、と。


自分の大事な子どもを

どんな人になら預けられるか?


と問うてる。



これを読んだ時に

わたしはすぐに夫や義姉が浮かんで

感謝になった。



夫のように、不器用ながら

親身に誠実な愛情を注ぐ人が心友だと。



また、次々とそんな仲間が浮かんだ。

チャイニーズ、カナディアン、アメリカンYOUたち、

短大時代からの友人と、

一緒にコミュニケーションを学んだゴールド仲間たち。

(あたふたしながら誠実な愛情で協力してる様が思い浮かぶ)




カナダに行く時に

カナディアンYOUはわたしに

日本に来ていた4歳の娘を

カナダまで一緒に連れてきて、と託した。

あなただからお願いする、と。

(こんなハカハカしてるわたしに

それを実行する助けがいくつもあった).

カナダに着くまでわたしは

カナディアンYOUはこんなに幼い娘をわたしなんかに託すくらい強いのだ、と思っていた。


だけど

バンクーバーの空港に着いた時

わたしが見たのは

あの強いYOUが大泣きしてた顔だ。


娘と離れて無事着くまで不安でいっぱいだったのだ。



YOUはめちゃくちゃ泣きながら

わたしにありがとう、と言い、

あなたはパニック症だけど、どこにでも行けるよね。とウインクした。



どれだけの信頼と愛情で見守られていたのだろうと、その時に気が付いた。






わたしの大事なものを託せる信頼関係がある人。



わたしにも

あれから心友がたくさんできていた。




そして、論語の訳としてこうしめられる。


そう言う人を友とし、

自分自身の目指す人物像にするとよい、と。






自分の大事なものを託せるか?





わたしに心友ができる時

同時にわたしもそんな人となって、

人間関係の輪が広まっている。



わたしはわたしの体の心友になれてるかな?

今日のお昼は温かいそうめん。


Meg.