本日4記事目







30代まで、わたしの話の中心は、


どうしたら母に笑ってもらえるかな?


であった。




【母が笑ってくれそうなこと】


〇父の悪口

〇父に嫌なことされて私が可哀想なネタ

〇父タイプの人の分析





そう思い込んでいたから

相手はこんなに悪くて

自分は可哀想なネタばかり探して


母が笑うよう

母がゴキゲンになるよう

母が幸せになるよう



がんばって努力したんです。





こうして深く深く脳に、記憶に刻まれた



わたしって不幸

わたしって罵倒される人

わたし愛されない人

わたし素晴らしくない



がインプットされた!😀







でね、


じゃあ、

バツつけてきた自分に

今度はマル⭕するには



逆をやればいい。シンプルに。単純に。



証拠集めは不幸ネタじゃなく、

幸せで私が楽しいことでよい。




で、

真逆のネタ集めを始めた私に母は、



前よりずっと笑ってる。

幸せそうである。

実際毎日泣き笑いして爆笑してる。。





母はわたしに寄ってキタ。

なんだか楽しいそうね、、と。

アンタ、なにしてんの?と。



わたしは、私らしく生きるために

あらゆることの逆を試して母に嬉々として冒険を話した。



⭕誰かにNOを伝えてみた。

⭕誰かにネガティブな気持ちを表してみた。

⭕誰かにハッキリ意見を伝えた。

⭕誰かに同調しないでみた。

⭕誰かのメールを既読スルーしてみた。

⭕誰かの電話にでないでみた。




父の悪事とおなじことを、


私の中で❌つけてきた非常識を、

わたしが死ぬ気でやってる冒険を、


母はじっと聞いた。




聞いて、

アンタ、、それで?

どうなったの?


と、サスペンスさながらのわたしのコミュニケーションに興味津々となった。




なんせ母も私タイプで

だんまり貝姫の腹ん中暴君レジェンドである。





私が失敗してもうまくいっても話してるうち、


母も変わりだした。



父の愚痴ばかり話していた母が

自分の気持ちは一体何なのだ?に興味を持ったからである。



離婚後、仙台に来た母は毎日40分わたしと散歩して


最初は父の愚痴から始まる話が

最後はポロッと、

自分の本音が出た。



お母さん、じょっぱりだった。

お母さんもお父さんみたいにハッキリ言えばよかった。

もっと、色んな話をしたらよかった。

暴力が怖かった。

暴力受けている自分が恥ずかしかった。




今も家出をしたことの罪悪感に苦しむ母は、

それほどまでに、暴力を受ける自分に⭕、抵抗することに❌をしていた。




今、父の話はほぼしない。

たまに母は、

自分は別れて楽しく幸せになったから

お父さんもそうであって欲しい、という。





わたしは37歳まで

不幸に見えるグチだらけの母の機嫌は


私が取るもんだと思ってた。


そして自分のことはおいてけぼりになった。

37歳の体で

キモチは5歳児のようにただ幼稚で

知らなかった。







でもいつからでもなんとかなった。

その体験をしたのだ!




母は私がどんな風に生きていても楽しいらしい。

わたしが楽しければ。



仙台にきたことで、

わたしのライフスタイルに母をつきあわせてるが、


引越し先をあれこれ悩む中、


昨日



メグー

アンタのおかげで、お母さんはあちこち色んな場所に行けて

ホント楽しいよ♡



と言った。



結局、母はずっと、

わたしが生きていればハッピーなのである。



遠回りして

そう気がついた。

人生はどんなことだって正解だったと。






Meg.