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2010年、わたしが親に最後の反抗期をした30代




あの時、
父や母はわたしから離れた。


父とは5年間絶縁になった。
それがよかったと思ってる。




あの頃のわたしは

わたしは罵倒される人間

わたしは粗末に扱われる人間


わたしは否定される人間


わたしは愛情を注がれない人間



と思い込んでいて、






父や母を


わたしを大事にしない人たち

わたしに愛情がない人たち

わたしに攻撃的な人

わたしに嫌な思いさせる人



決めつけていたから。




父や母が
わたしがそんな話をするたびに


そうじゃないよ、
誤解だよ、
勘違いだよ、

オメにはそれがいいと思ったんだよ

オメにはこうしたら幸せになる方法だと思ったんだよ


可愛いに決まってるべ!!
なんでわがんねんだ?!



そう伝えていたのに


わたしが
愛されてない証拠ばかり探して

親たちのやり方は
愛がないと訴え続けてた。


叩かれた!
ほっとかれた!
あれもこれもしてもらえなかった!





うん。離れて当たり前。
逃げて当然。笑


親だって、娘が
思い込みのまま被害意識で
あれこれぶつけたら嫌なのだ。
怖いのだ。




片方は愛情と思っている
片方は愛情に感じない


わたしも、
親も苦しかった時期。




で、わたしは親に不満が恨み節炸裂していたから
愚痴ばかりで周りの人に訴えてた。


あの頃一緒にいてくれていて
わたしに賛同してくれていたのは類友たちであった。




だよね
親としておかしいよね
もっとこうするべきだよね
私たちは問題ないけど
親は完璧であるべきよね。


こんな思いがあった。





親の愛情を愛情と感じて
違いを違いだと感じる夫や、
義理の家族たちは

わたしが被害妄想満載で話す
妄想物語のことをいつも首を傾げてたものだ、、笑笑


そう、そのくらい馬鹿げていた。





義父母はいつも


バガなこと言うもんでねえよ。
めぐみちゃんのこと
そんなふうに思うわげねえ

なんでそう思ったの?
可愛いに決まってっぺ!!





私の言うこと信じなかったよ。笑



めぐみちゃんは可愛い娘!


それだけ伝えてくれてたよ。





私、あの頃の私がいまいたら
付き合わないだろうなあ。


被害者意識で生きていたあのころ。
わたしには類友が沢山いた。



今は、
素直仲間が類友たち。


親とわたし、
理想が違ったよね。

もう拗ねるのやめて
間違えたらごめんなさいして

さあ、
自分も相手も違いを知ったら
その上で自分の感じ方大事にしよう〜

っていう人が
沢山集まって
そんな話に花を咲かせてる。


すね散らかしたわたしが
親にぶつけまくって
その間自分を知った期間があったのは


親と離れた時期があったから。。


親が
わからずやのいじけた私から
離れてくれたから。




離れるも出会いも
お役目やご縁だなあと感じている。




Meg.