本日3記事目



わたしね、
父からフルボッコされたことある。

父がそうした理由は
わたしが嘘をついて男子の集まる家に行ったから。

(中3の時、クラスの男子がわたしの家の近くのたまり場に集まって遊んでただけ)


で、
わたしそれはあんまり怖くも痛くもなくて
父が気が済めば終わるだろうなんて思ってた。


日常的にある
言葉の否定や、お前は不幸になるからな!の捨て台詞の方が
わたしには暴力だったな。





でね、
そんな父との関わりを
居心地悪いなあ、と長年思ってきたわたしが



娘にも
否定や批判や命令や

ママの言うこと聞かなかったらお尻ぺんぺんだから!

と叩いたことある。




わたしね、
あの時はリアルタイムで謝らなかった。
自分はそれが正しいと思ってたし愛情だと思ってた。



で、
月日がたったとき、

間違えた!!!と気がついた。


愛情の出し方、
気持ちの出し方、
言い方を
本当は違う風にやりたかった、言いたかった


言葉の暴力や
叩くとかじゃなくて

もっとわたしの不安とか話したり
もっとわたしの弱さを話してみたり

もっともっと
娘の気持ちを聞きたいわたしだった。



だからね
あとからでもたくさん謝ったよ。
許されなくても
覚えてないと言っても


ママはやり方を間違えてしまった、

ママはどうしたらいいか知らなくて
親の真似事をした、と。



あなたの気持ちはどうだった?

あなたはママに本当はなんて言いたかった?


って話がしたかった、と。



娘はわたしが怒りんぼ時代を覚えてないらしい。


でも思い出していろんな気持ちになったら
今のママなら受け止めて聴くからね、と言ってある。



父は謝らなかった。
でもわたしから父の愛情を探して見つけて
どうでもよくなった。


母はわたしに謝ったけど
わたし、すっきりしなかった。

わたしが母にすっきりしたのは
母にイヤ!とかやめて!とか
またはわたしが笑い話のような嫌われ妄想をつらつらと話したあとだ。



わたしの目はわたしや目の前の人を愛おしく見るためにある

わたしの口は美しい言葉を伝えるためにある

わたしの手は娘の頰や頭を撫でるためにある

ずっとそうでもあったのだ。




わたしも
あなたも
時々間違える。

自分は正しいのだと。


わたしもあなたも
間違えたら
謝ることもできる。

愛情を伝えることもできる。


豊かな人として。
愛情が満ちた人として。



Meg.