夫とボンビーガールを見た。


(地方から東京に家を借りる女子を家を契約するまで密着)


春は娘も一人暮らしするかもしれないので
親心満載で見る。



田舎から東京へ出て
物件を探す姿が
キラキラして、
娘と重なり切なく、キューっとなった。


時々夫にしがみつき、


信じるしかないね。
あの娘がどうなっても大丈夫。

と二人で
あーだこーだ言いながら見終えた。




娘が赤ちゃんの時、
泣けばお尻の匂いを嗅ぎ
おむつを見て
抱っこしたり
おっぱいあげることを繰り返して日が暮れた。





こんな日がいつまで続くのか途方に暮れて
夕方になれば娘もわたしも泣いていた。


窓から外を眺めて
わたし以外のママさんが
全員肝っ玉が座った強い母親に見えた。


なんて自分が情けなく
何もできない、
弱くて不安な人間だろうかと
泣いた。


こんなお母さんでごめんなさいと毎日毎日思ってた。


わたしの服はいつも娘の涙で濡れていたし
不安すぎてご飯が食べられず
ガリガリに痩せていた。


化粧も髪をいじることもせず、
ひたすらおんぶして
寝かせて
洗濯や茶碗洗い、食事の支度を一体どうやってしていたか記憶にない。


一日一日やっと生きていた。




そんな日々があった。
あの時、娘を抱きながら
わたしが抱っこされていたなと思う。

今にも破裂しそうな不安な気持ちを
小さな命に抱きしめられていた。





幼稚園へ行き
転校し
小学生になり
中学生になり
高校生になり
大学生になった


喜怒哀楽をたくさん味わった。
あの娘が生まれてきてから
よく泣いている。


あっという間に21年経ったんだなあ。




ボンビーガールにでていた娘のような22歳の女の子は

東京なら中目黒に住みたいと憧れて
福島から上京してきた。


トイレとバスは別がいいと言う願いを諦めるくらい
気に入った都会の小さく古いアパート。




母が67歳で家を出て、
古いアパートを借りた時

段ボールの上に布団がないまま寝たことを
安心できて幸せだったと話した。
母のことは何も心配しないわたしが

若い健やかな娘のことにはキューっとなる。




落ち込んだ時に話す人が近くにいたらいいな

あなたの幸せを願う人が
家族以外にいるといいな

怖い目に合わないといいな

嫌な思いなんて一切させたくないな




わたしもこんな風に
思われていたんだなあ。



誰かを思って
幸せを願わせてもらえる時間を、幸せと言うのかもしれない。