今日はサリンのあった日だって。


台所で母が言って
わたしたちは一瞬であの日のことを思い出した。

わたしは福島から、
母たちは青森から。

東京駅で待ち合わせて
わたしが場所が分からずに迷子になり、
館内放送で呼び出された笑笑


時間が経ってから
皆に会えた時、
父が烈火の如く怒鳴った。

なんで間違えた?
なんで連絡しない?(父だけが携帯を持っており、何回かけてもつながらなかった)

東京駅の真ん中で津軽弁で怒鳴る父と
早く終わらないかな。と思っていたわたし。


少し時間がずれていたら
父も母も
サリン事件に巻き込まれていたあの日。


そんなことが起きるとも知らず
いつものように怒られ
父はどんどん先を歩き、
わたしは父から怒られないようビクビクしてた東京。



家族でボーリングをしたり
弟の学校に行ったり
母と二人で別行動してはとバスに乗った。

電車にのり
父が津軽弁で
"人がっぱどいるな!な?な?"
(人がたくさんいるね?)
と面白がってなまり散らし、

弟は私たちから離れて歩いた。


父はいつも
先導してた。

東京さ行ぐべ!とか
わたしたちをいろんな場所に連れて行き
美味しいものを食べさせて
新しいものを見せて
思い通りに動かないと怒った。



なんて、なんて

元気だったんだろう。



Twitterで人気の、
ワニのお話が、
100日後に死ぬお話で、
今日が100日目らしかった。

ありふれた日常を生きていたワニ。
明日何が起きるのか
100日後に死ぬとか
知らずに
限りある命を生きる。

わたしだってそうだ。



わたしも父も
あの日も、生きていた。

70歳で一人になったり
75歳で倒れることも
何にも知らなかったんだ。


ああ、なんて
元気だったろう。
あんなに先を歩いて
追いつけなかった。
あんなに大声で怒っていた。


期間限定の、父の溢れたエネルギーだったなあ。








対等コミュニケーションについての音声🌸