幸せってなんだろう?


もしかしたら
誰かに愛情をぐわ〜〜っと
感じる瞬間じゃないかな?



昨夜の父との会話で
わたしの中で
それは確信になりつつある。




娘や夫や

父や母

義父母を

愛情で思えるわたしの時、




わたしは幸福に包まれて

いつも涙が溢れる。







愛情を知る道のりは

その裏を疑い、

遠回りをしては


簡単に見つからないような地図を歩き回る。




神様はいつも
はるか上からわたしをみて

わたしの中にある愛情を


ナイナイ、と
外に探し回るわたしを
見ている。






あなたを見ていなさい。


あなたを信じてみて。


そう言われている気がする。






わたしの中に全てあるもの。







誰もが、
誰かの愛情をかけられ
今までこうして生きてきた真実。



そして、誰もが


生まれた瞬間に
呼吸し始めて

吸い付く何かを探してる。



誰にも教わっていないのに

自分はこうしてお乳を飲むことを知っている。




娘が生まれて






誰にも教わらず
自分が知っていたことだ。




わたしも母から生まれて
そうやって
当然のように
いろんな人の愛情を受けて
今までこうして生きてる。




起きた出来事は
幸せの道の上で起きる。


勘違いを重ねて

捻じ曲げて

拗ねた心のまま解釈もする。




わたしも、
あなたも、

愛情を、
生まれる前からちゃんと知っている。


散々忘れて、

いつか
思い出すときに、
カラダやキモチやシコウは
慈愛に侵略されてしまうんだろう。



そんな体験をしたら

被害妄想をして
自分は愛されてないと思うことが、

どんなにバカバカしく
くだらないと
思うのだ。



そしてそれさえ、
そんなことすら必要で


バカバカしい、
くだらない、と
思える自分が

幸せだとも知るんだろう。





わたしには
あの人もあの人も

誰かのめご子だよ。




わたしの娘が入院したときに
父は仕事の行き帰り、
毎朝、毎夕、
わたしにスポーツ新聞を届けた。

来ても自分の話だけして帰る。

不器用な父の、
わたしへの愛情。



寂しい、というと

母は、
お父さんの世話があるから。
お父さんに怒鳴られるから。

と自分ばかりが愚痴を言い、
ひそひそと父の陰口を言うと
わたしの話を聞かずに電話を切った。



家を出て、
父と離婚したあと


あんたの話聞くの
お母さん大好き。
と笑いながら毎日いう。



父も、わたしのように
母に話を聞いてもらいたい人だったのだろう。

父にとって、
妻は母親がわりだったのだなあと思うのだ。



幼少期に、
思春期に、
わたしが母になって以来、

勘違いしたことは
こんな風にひっくり返り

ただ現実は
いろんな愛情の形があることだ。





被害妄想をして
勝手に悲しんだり
腹を立てたり
嫉妬したり

沼にズブズブと入る仲間をみては


はいはい
アイス食べて次行こう〜〜

それそんなに楽しい?

あ、そう。

わたしあっちいって
好きなことしてるねー

と、軽々とおいてゆく。




だって
あなたはきがつくから

だってわたしもあなたも
誰かのめご子で

思い出す人だからね。




あなたを思い出すのは
あなただし、


わたしを思い出すのは
わたしだからね💕