久々に父の話をしたら

止まらなくなった。




母が、今日は饒舌である。






多分盛られているだろうそれを


餃子の皮に餡を包みながら聞いた。





12年前、母の乳がんの手術の後、

父は

母の保険金が下りたから、

と言って

ある日スポーツカーを買ってきた。



母と一緒に日本一周すると決めて。






母が、

「無理やり」
「強引に」
「イヤイヤ」
「連れて行かされた」

三週間の地獄の旅の話。




旅の思い出は

父の文句や大声や

母がトイレに入ってる間
どこかに行ってしまい
1時間待ち続けたことや

見知らぬ街で車から降ろされたこと


車の窓からずっとガードレールばかり見ていた記憶。





できた餃子を並べながら母の顔を見たら


父の話をする母の目がキラキラして

ここ最近で1番元気だ。





車から降ろされた母は

ウエストポーチに
いつでもタクシーを拾えるよう、
飛行機でも新幹線でも帰れるよう、
現金を入れていた。



いつ降ろされてもいいように
そこは抜かりなかった、と。







弘前の街中で、

又は田舎道で

父は突然きれては

母を車から降ろした。





降ろされた母は

車内より外が安全で

自分は自由だと

一人でまた父のいる家へ戻った。




そういうことを繰り返した夫婦だった。






ずっと

なぜ夫はきれたのだろうかと考えて


考えても分からなかった。


と、母。




北海道で車で旅をして

蕎麦屋で

美味しいか?と聞かれ

うん。と言ったら

その態度が気に入らないと言って

一人で出て行った父。



また一人で店に残され、

母は

ならば札幌までどうにか行き、観光して
一人で帰ろうと
嬉しくなったらしい。

お金はいつものウエストポーチに入れてあった。



結局父は
近くに車を停めており、
母は一人にはなれずに旅が続いた。






怒られないように
怒鳴られないように
間違えないように
機嫌を損ねないように


そればかり気にして生きた母







ああ。

元気だったなあ。



父は母を置いていけるくらい、
母は置いていかれるくらい

どちらも一人でも帰れるくらい
元気だったのだ。

と思う。








今、どんなに口論になっても
父は誰かを置いていけない。

車椅子の父を置いていけるのは

もうわたしだけだ。






母は膝が痛くて
一人では歩けない日もあり
隣で寝るだけで
嬉しいと泣く。







男なんて信じちゃダメ。

女は一人で生きていけるように。



母が信じてきたことを

わたしは守らず

今日もたっぷりと夫に甘えてる。






父との思い出話しは

母の盛りが加わって
スリリングにもサスペンスにもなった。




お父さんはもう誰も置いていけなくなったね。


と言ったら


母は

そうだねえ。

と言った。




幼い頃、
親から置いていかれた父の


母への甘えの数々と



いつのまにか包まれた
120個の餃子。





二人の話を

元気だった、
ズレまくった夫婦の話として聞いた。



わたしがどうすることもできなかった男女の話。



わたしがいい子でも
グレていても
きっと2人はこうして過ごしただろう。




やっぱり
完璧な親で
わたしも完璧な娘だ



そう決めつけて、
餃子を冷凍庫にしまった。