家族で白い巨塔みています。


主人公の財前五郎は、
大学病院の医者で
助教授。

助教授が、教授を目指してアレコレ作戦立てたり腹の探り合いしたりしてる。(昨日は二話目)



で、
教授って幸せなのか?



幸せってなんだろなあ。。

って思ったんです。







わたしの中でも色々幸せの意義は移り変わってきた。



小さい頃の幸せは
母に抱っこされる時間が、
弟より長ければ幸せだと思った。



誰かと比べて
自分の方が愛されてる実感が幸せ。




高校生になれば好きな人ができて、
両想いになれることが幸せだった。

付き合えば彼氏にいつも気に入られることが幸せ。


そのために頑張る。








夫と出会って結婚したら、
義理の両親から良いお嫁さんだと思われることが幸せの意味になり、



娘を授かったら無事に生まれてくることが幸せになり




娘が生まれたら
娘が苦労したり
いじめられたりしないことが幸せの意味になった。






果てしないわあ。。


あることより、
不足している何かにフォーカスして

ああ、もっとこうだったらよかったのに。と思う。




そして今ない、まだない、

もっと幸せになりたいと思ってました。






で、わたしの幸せのハードルは今とても低い。


なぜなら、パニック症になってみたら


息ができることが
幸せになってしまったのだ。






身体は元気なのに、


脳みそが勘違いしたおかげで



元気な寝たきりになった。




動けることは幸せ。




右半身麻痺の父は、


動けなくても健康で幸せだと今教えてくれる。






ああ、そうだった。




わたしすでに幸せなんだった、

と日々思う。






昨夜、娘のもみあげを思い浮かべたら涙が出た。



娘の両耳に耳ろうこうの手術の跡があり、


いまはもみあげの毛が隠している。



わたしはそこが大好きで
いつも触りたい。




娘の清潔な頰は

幼い頃いつもわたしの顔の横にあり、

匂いを嗅いで安心して寝たのはわたしの方だ。




ママ、抱っこ〜と

飛び込む娘の、

わたしだけが知る匂いを

いつか誰かのための癒しとなるんだろなと

思っていたら泣けてきて


それが幸せだなあ、と思った。






幸せは日常に溢れる。



トイレのカレンダーに

家族としりとりして

次々に絵が増えていくこと。




これもわたしの幸せの風景。