こちらの記事の
マンガバージョンでさらに

愛されない前提
桜田淳子さん劇場をフカボリ。














スクールカウンセリング受けたから


湧き出してきた今までの不平不満、文句、


また、

わたしは愛されてなかったから

今こんなに苦しいの!


と、母や父にぶつけてみたかった時代。38歳の頃。





わたしは今のように毎日マンガを描いたり

文章を書いたりして


Faxで送りつけてたんです。



まー責めました責めました。

拗ねてイジケて、


父も母もそのうち本当に

わたしからの非難Faxは読まなくなった。当たり前だ笑笑






逃げやがって〜〜!

それでも親か?!

毒親だ!!


と、
毒親についても調べまくる。



だって証拠集めになるから。


わたしは愛されてない子どもだと。






で、父や母に逃げられても


自分でマンガや文で書くことは続けてみた。


そして気がついたのは、


愛されてたら困るんだな、ということ。







あれもこれも、


父や母が毎回言うように


愛情だと思ってたなら。。





父がわたしをボコボコに叩いたのは

同級生の男子が集まる家にわたしがいき、

わたしが何かされたんじゃないかと

一人妄想したとき。



40発くらい殴られた。
殴られるたびに体が飛び、
また起き上がろうとして殴られた。


あれは、わたしをいやらしい女、男の家に簡単にいき、
親に嘘を言うだめな娘だ、

と否定したかったんではなくて


男子がたくさんいる部屋に女の子が一人で行ったことが心配だったから。


父は泣きながらわたしを叩いた。


オメ、何されでもいいのが??と言っていた。
裸でいたのか?とも言っていた。


その時はなんで父は泣きながら叩くのだろうか、と思った。


父はただ心配していたのだ。

わたしがかわいいめご子だから。


わたしは男子たちに何にもされてなかったけど
父は自分が狼だから心配したのだ。






わたしがボコられている間、


母は一度も助けてくれなかった。



わたしが愛されていたのだとすれば



母はただ怖かった、

また、母が言うように覚えていない、聞こえなかった、知らなかっただけなのだ。




わたしがあんなにボコられてたら



気持ちはいつだって助けたかったかもしれない。


わたしがボコられていいとは
思ってない。






で、わたしも母やきょうだいが父にボコられてる間、

息を潜めて終わるのを待った。







終われば

こそこそと側に行き、

大丈夫?いたくない?怖かった?

などときいた。



きょうだいが大好きだったけど
助けに行けなかった。







父に叩かれなくなったのは


あの時ボコられて、


わたしからブチ切れたからだ。



殴りたければ殴ればいい!

わたしはでも、

殴られなくても、ちゃんとわかるから!


わたし話せば会話できるから!


お父さんが殴っても

わたし痛くない、怖くない!




そう言ったら父は

手を出すのはピタリとやめてしまった。



15歳でボコられ以来、
手を挙げられたことがない。




脱線!なんだっけ?





あらゆる出来事は
自分が愛されることの証拠にしていい。




誰もわたしを傷つけられない。



傷をつけるのは
何かをジャッジして
自分をだめだと決めるわたし以外できない。





父や母に

わたし疑っててごめんね、といい、

ありがとうと言えた時に


父も母も

どんなに自分たちが若くて

若いなりに未熟なりに愛情をかけていたかを

教えてくれた。





わたしは

わたしを否定する何かがあっても


わたしが信じないんだろう。



わざわざ
自分が愛されてない劇場に巻き込む労力や、

相手への分析。



それにかける時間がなかなかとれない!



だったら

自分をみつめてたい。



なんでこんなに愛されるんだろう?と酔いしれて笑いたい。。笑笑



素直仲間とネタにして
桜田淳子さん劇場をわらいあおう〜〜💖