わたし自身、

ブサイク、とか気持ち悪い、と

幼い頃から言われたことの

ネガティヴな方だけ切り取り

それを信じてきた。





20歳の時まで、本気で

わたしは気持ち悪い人間で、

結婚できないんだろうなあ。

と思い込んでもきて、


それは夫に会ったら、
どうやらこのわたしでいいらしい、と変化したことでした。







で、わたしは娘が生まれたら

とにかく可愛い、可愛いと言って

嘘でもそう言わなくては!


この子はわたしのように悩み苦しむんではないか?と

不安でした。





わたしの周りで


自分の子を平気でブサイクだ、デブだ、とかいう人に


ものすごくモヤモヤして
勝手にその子の将来まで心配もして。。



聞けば、その方は

子供にはちゃんと現実を教えてあげないと将来困るからね、と言う。


その方自身も、家族にはけなされて育ったが、

おかげで勘違いせずに済んだ、と教えてくれたのだ。









あー、

わたしもその方も、

自分の体験から、
子どもにとって幸せなだと思う方をしてるだけなんだなあ、


と思ったんです。








で、わたしの娘がどうなったかというと、




ママはねー、


わたしが娘だから、特別可愛いと思うんだけ〜




そりゃあ、お母さんなら
娘は可愛いんでしょう。。



他の人から見たら
普通ですよ。




っていう。。真顔











娘はとっても冷静だ。






ブスだ、デブだと言われたわたしも

ならばどうしたら可愛くなれるのか???

と、可愛い、に執着し、

可愛い人を研究するのが
大好きで楽しくなった。




コンプレックスは、
こんな風にわたしを研究熱心にさせて、
女の子であることを楽しませてもくれている。







娘はわたしがコンプレックスだった斜視の目や、
ニキビ跡がたくさんある肌を

ママの目が大好き、
ママの肌が綺麗、と

今日も朝から伝えにくる。






ああ、なんだ。

人はどんなに自尊心が低くても、

自分でそれをいかようにも利用して
適応して、
好きな場所で生き始める。






どんなに褒められて認められようが

自分の五感で感じて、
自分が自分をどう扱うか決めるのだった。






ブスだデブだと母親に言われていた女の子は


わたしの心配をよそに、

久々に会ったら美しくてオシャレな女性になっていた。



母親にもズバズバ言いたいことを言える。







なーんにも心配なんかいらない。

わたしたちは自分で道を切り開ける力がある。



今になり、気がついて
遠回りしたなあ。って感じる。


そして遠回りした道には
遠回りした分のヒントや出会いがあって、

今の道のりこそがハッピーロードだったなあ〜、て思える。


どの飴も可愛い