津軽弁に、

どうせ通じない、というコンプレックスがある母。




いつも、

どうせお母さんの津軽弁は
皆んなはわからないから
話しかけにくい、

と言う。




母は元来自分から話す人ではなく、

友だちは昔から付き合いのある人や
仲良しの姉妹だけで
長ーく付き合う。




こちらに越してきてから
人と話さないのは、
言葉のせいにすることが多い。




スマホデビューにあたり、

担当者が自宅に来ることになり
家族みんなで見守る。


母は緊張して眠れずに朝を迎えた。



担当の若い男性が、

初めからとっても親切だったけど

母はどこかぎこちない。





母の訛りから、

男性が、

自分も弘前なんですよー

と言った瞬間から




母の周りは
グンとリラックスした空気に変わった。





津軽弁になった途端
敬語もなく、

まるで隣のお兄ちゃんになり

母はなんでも聞き始めて
彼の実家まで地図でみて
この辺?なんてきいて
スマホを駆使し始めたのだった。





わたしも、
担当の方が津軽弁を発した途端に

ガラリとイメージが変わってしまった。



キチンとした、
都会的な印象から、

津軽男にすぐ見えた!!!

(なんとも表現しがたいんだけど
津軽男が!


ああ、言葉って面白い。






言葉、言語は

あり方まで一瞬に変える力がある。




わたしが人見知りしたのもしなくなったのも

津軽弁の影響が大きい。


津軽弁はへり下るのが標準というか、心地よくできている。

津軽弁になると
自虐が挨拶になり
パートナーをこき下ろすのが普通の感覚である。(わたしの場合)


福島に嫁いだら
それは逆になった。

義父母は自分たちの故郷を
愛をもって伝えた。

素晴らしいところだよ、と。


家族のことをいつも愛をもって話す。
わたしはそれにいつも驚いた。





青森にいた時は
自分たちには価値がなく
田舎者で、恥ずかしい存在、と
いう言葉や会話が当たり前だったから。



津軽弁に敬語がなくて
すぐに誰かと馴れ馴れしくもなる。


同じ訛り同士
ののしり合い、笑いになる。

これは一つの文化だなあと思う。




えふりこきはカッコつけるの意味。


シャイな青森県人は
意地でも自分の価値を認めずに
こき下ろし、自虐して笑う。

それがかっこいいことでもあった。



23歳で出会った英語や、
福島での結婚生活は

わたしの自虐の他に


故郷を愛して、自分を愛する言葉を教えてくれたり


特に英語、中国語は、
文法からあり方が出る。


気持ちをまず先にはっきり伝える。

堂々と言い切る言葉や態度やあり方を一瞬にしてだせる。


だから、英語を話すと
堂々とわたしをだせる。

それが快感だった。




スマホデビューした母が

娘に送ったラインメールは


「よろしきか」



たぶん
よろしくの意味。



娘からスタンプもプレゼントされて
ばあちゃんがいる!と大騒ぎ中。。



[Meg.のスタンプ]