この記事について
母とおしゃべりしたら






わたしが15歳の春に

高校受験は不合格で

滑り止めも受けておらず

行き場所がない時






合格した友だちに電話して

おめでとう!と伝えていたらしい。





わたしは不合格がわかって

しばらく思いきり絶望したあと

母の言葉に助けられた。




わたしにとって

15歳の春の記憶は

いつも母に言われたこの場面。






母の記憶は

わたしがお友だちにおめでとうと言う

15歳のわたしの背中。








え?わたしお友だちに電話する余裕あったんだっけ?






あんたはねぇ、
お友だちの合格を喜べる子だった

お母さんは
あんた15なのに大したもんだ!て
ビックリしたから覚えてるよ。








そして母の言った通り

わたしの15歳の浪人生活はあっという間だった。




早すぎるくらい、

楽しかった。




父はわたしが浪人中に

勉強や恋が楽しくて

毎日遅くまで予備校にいたことは知らず




苦労して辛い可哀想な娘だと思っていたようで




そのことは娘を産んだ後に
気もちを聞いて驚いた。





1年間浪人して

晴れて高校に合格した時に

父は泣いた。




わたしは泣かなかったのに

父は高校も短大も

合格した時に泣いた。




不合格で行き場所がなく、

二、三日絶望したわたしばかりを見てた父。




裏口入学?の話を誰かにされてブチ切れた父。
















願掛けで


仕事の帰り道

毎日

同じ道しか通らなかった父






あんたの友だちも
あんたになんて言っていいか

あの時わかんなかったろうねえ。

あんたから電話して
よかったねえ、と母




15歳の時から

こうやって父や母に心配されて

そんなこと

都合よくすっかり忘れる。




この体験があって

わたしは受験のことは

落ちても受かっても何にも気にならない人になり



娘が受験シーズンの時も

わたしは好きなことばかりして過ごした。





母と30年前にタイムスリップ。

わたしの記憶と

母の記憶と。



見てる景色の違いを知る。




今こうして正解のない答え合わせ。