トロフィーの数々、これはあなたの、レ・キ・シ、そう足跡です。 | 噺新聞

噺新聞

「落語」のこと、暮らしの中にある「噺」についてなどを集めた、噺新聞

テニスとの出会い、これはいつ頃だっただろうか。

 

30代、マンション住まい、女房のママ友の誘いでテニスコートを借りてラケットを振り回したのが最初だったか。

それから二度ほどそんなことを繰り返したが、私はそれで、お仕舞い。女房はそれをきっかけにテニスにのめり込み始めていたようだ。

 

私は土日に地域のオジサンたちが集まってつくったラグビーチームに、週末は出向きラグビーボールと戯れていた。

そのラグビーチームも時が過ぎてくると、大学の現役バリバリでやっていたラガーマンたちが入りはじめてきて、試合になってもこの人たちの出番、こちらに声がかかることは少なくなり、いわゆるベンチウォーマーである。

 

こうなると好きだった、ラグビーも楽しくない、平日の5日間は仕事に明け暮れ、打ち込み、その気持ちの切替えもあって、土日はラグビーで土にまみれていたのだけれど、それも、なんだか、悶々としていた頃、女房が、テニススクールにでも行ったらと、声をかけてくれた。

 

スクールで初級コースを申し込み、週に一回、足を運び始めた。

いやー、ボールを思っ切り叩きつける、この快感、すぐハマりましたね。

また、コーチと打ち合うラリー、これがめちゃくちゃ楽しい。

そして、ラグビーの時もそうだったが練習が終わった後の缶ビールの味が、たまらない、テニスでも終わった後、知り合ったおっさんとのビールジョッキを重ねる時間、これが珠玉の時でしたね。

 

ずいぶん、乱暴なことしていました。昔のことだけれど。

 

スクールの初級を二年続け、その頃女房は、女子連の大会に出続けるまでテニスまっしぐらの日々、その女房にスクールに通うより、クラブに入ったほうが会費は比べようもなく安い、だからと、勧められるままクラブに入会して、テニスのベテラン、上級者に混ざりながら、コートでは日陰者のごとく存在感薄い状態、でもコート以外の飲み会でその本領を発揮すべく、で、10年。ラケットをおき、ここでテニスからも遠ざかりました。

 

長い人生、私の場合、10年刻みでその行動パターンがあるようで。

テニスから遠ざかって10年経った頃に、地域コミュニティーでテニスの練習会が週に何回かやっている、費用もわずか、週に二時間が二回、月に千円単位の会費、やってみたらとまたまた女房に背中を押され、テニス、再開をしてみました。

 

私以上にテニスにのめり込んでいた女房も、同じようにテニスを止め、10年以上遠ざかっている。

私に遅れ、一年過ぎにこのサークルに参加するようになった。

元々私以上のテニス経歴、歴戦のウーマン。

 

10年前にテニスを辞めた時、テニスに関わるもの、すべて破棄といい、私には試合でもらい集めたトロフィー、盾の処分を委ねられたけど、私としては捨てること、処分することはいつでもできる、まぁ、それまで、とダンボールの中に詰め込み、仕舞った。でもそのこと、そんなこともすっかり忘れてしまっていた。

 

テニスを再開し始めた女房にとって、テニスから遠ざかろうとした時、テニスに関わるそれらを捨て去る、その気持ちは十分わかる、でもまたテニスをし始め、またテニスが楽しくなり、捨て去ったものたちへの思い悔やみが起きて来たらしい。

 

私もすっかり忘れていた歴戦のトロフィーたち、終活に近い身の回りの片付けものをしていた時、これらを詰め込んだダンボールをみつけた。

 

これは、あなたが生きて来て今現在まで続いている歴史です。その足跡、リビングの一郭にまとめて飾っておきましょう。