「寿限無」と「死神」 (2024 No.15) | 噺新聞

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 私、あと数日で七四歳の誕生日を迎えます。生きている人間の、共通点を見つけました。誰も、誕生日は決まっていますが、命日は、まだありません。過去は、体験したこととして残ります。未来(命日)は、まだです。いつかは来ますが、いつになるかは分かりません。

 消費期限と賞味期限、到着時刻と出発時刻、内税と外税、微妙に違いますね。出発時刻に合わせて駅に着いたら、出発した後で乗れなかったということはないですか。到着時間と出発時間、この少しのずれを軽くみると、大変なことになります。

 寿命と健康寿命、この微妙な違いを意識するかしないか、この積み重ねは大きいですね。残された時間、持ち時間、余命、これからの人生。呼び方は色々ですが、今から命日までのことです。長い、短いは関係なく、自分の人生での許された時間です。

 日本人の平均寿命と健康寿命、この差が、男性で九歳、女性で一三歳の違いがあります。このデータ、私達は、今のような生き方をしている限り、晩年の約一〇年は、健康ではなく病気の状態を意味するものです。他人ごとではありません。長生きより、もっともっともっと、自分の命と元気を守る生き方を!

 落語に「死神」という噺があります。五月五日独演会、聴きに行く予定です。死神との約束を破り、寿命を縮められる。人間の寿命は、ろうそくの経つがごとし。お前の寿命はあとわずか。弱々しいこのろうそくの灯だと告げられ、うろたえる。テケレッツのパアー。呪文くらいでは、間に合いそうにありません。

 長生きを願う「寿限無」。残された時間は短く一瞬を大事に生きるの「死神」。あなたは、どっちですか。私は、寿命より健康寿命に興味がありますね。誰かが、幸福について書いていました。「求めるより、気づくことの方が数段に難しいと思う」 ’24   4/15   悪志