山田太一のドラマ | 噺新聞

噺新聞

「落語」のこと、暮らしの中にある「噺」についてなどを集めた、噺新聞

読売新聞に掲載された「広角  多角」、片山一弘編集委員の記事を読み込んでしまった。

昨年秋に亡くなられた、脚本家・山田太一さんの作品についてだ。

2024.1.28付け讀賣新聞東京本社版朝刊掲載紙面より

「男たちの旅路」というドラマがあった。昭和51(1976)年から昭和57(1982)年まで放送されていた。

特攻隊の生き残りである警備会社の主人公、吉岡司令補(鶴田浩二)、人としての道義とは何かと戦争を体験した世代が、戦後生まれとの価値感の違いに対する強い憤りを描いたドラマ。

ドラマを通してその戦中派の主人公が、戦後生まれの若者に突きつけてくる、人として、人間としてという問いかけに考えさせられたドラマだった。

 

1981年は国際障害者年だった。その一年ちょっと前に放送されたのが「男たちの旅路」ドラマ第四部第三話「車輪の一歩」。

脊髄損傷による身体障害者の女性は母親の監視の元、自由に外に出ることができない、そこに身障者で車椅子に乗った男性6人がその女性に対し「外に出よう」と誘いかけドラマは進行していく。

段差がある道、駅に着いても車椅子ではホームに行く階段を昇れない。

そんな身障者たちが、吉岡司令補に、「僕たちは迷惑ものなんです」とその苦悩を語った時、吉岡司令補は「周りに迷惑かけたっていいんだ!」と強く語る。

山田太一は、このセリフは身障者である立場からいうより、健常者の方から「迷惑かけたっていい」と語らせることにインパクトがあるし、大きな意味がある、というようなことをインタビューで語っていたことを思い出した。

 

三流大学の学生たちの群像劇「ふぞろいの林檎(りんご)たち」(昭和58(1983)年〜平成9(1997)年)そのキャストは中井貴一、時任三郎、柳沢慎吾たちだったか。

片山記者の記事にこのようなことが書かれている。

…彼ら(三流大学の学生たち)と対照的な修一(国広富之)という人物が登場する。東大を出たが就職もせず、自宅でプログラミングの仕事をしている。ある種の時代のゆがみを体現する人物のようにも描かれていたが、今ではプログラマーも在宅勤務も珍しくはない。

10年ほど前に取材した際、山田さんは修一について「社会に出て食べるために戦う必要がなく、で始めたコンピューターで何かがやれて、人におびえのあるような人は、可能なら家(うち)にいたいだろうと思ったんです」と語った。

近未来を予見した洞察力に感嘆する一方で、世の価値観がその後、動いたことも確かだ。時代を鮮明に切り取った作品には、こういうことも起きる。