朝顔の理論 (2023 No.27) | 噺新聞

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 朝顔市、ほおずき市、花火大会、盆踊り、東北の夏祭り、これから日本の夏、楽しみですね。ほとんど四年ぶりの開催でしょう。

 文章には、それを書いた人の人柄や思想が表れると言います。「文は人なり」これは、デュフォン(フランスの植物学者・哲学者)の言葉です。私は、植物学者でも哲学者でもありませんが、まくらことばに、「朝顔の理論」という文を書いたことがあります。

 東京の下町、入谷(いりや)の、鬼子母神(きしぼじん)を中心に、店が並ぶ朝顔市。今年は、最終日の昼前には、品物(朝顔)がなくなったとか!昔、何回か足を運んだことがあります。どの店で買っても同じ値段ですが、私の買い方を紹介します。私は、これを「朝顔の理論」と呼んでいます。

 私は、朝顔に詳しくないので、自分で直接選びません。その代わり、選んでもらう人を選びます。店の都合で、売ろうとしているのか、こちら(客)の立場に立って選んでくれる人なのか。あとはお任せです。どの分野のことでも、同じような方法で選びます。

 書は人なり 芸は人なり 同じ文字を書いても、人によって違った書になります。小さい大きい、力強い優しい。セリフが全て同じ演題の落語、前座と真打では、全く違います。Jazzに名曲なし、名演奏あり。落語も同じことが言えますね。全ては人なり。何をやるにしても、その人の人柄が出てくるものです。

 リンカーンは、「人間四十にもなれば、自分の顔に責任がある」と言っています。人相、厳密にいえば「顔相」になるようですが、その時その時の「人柄」によって変わります。心身全体の総決算である顔。その中でも、眼もと、特に口もとは、人柄が出る場所です。

 年齢が四十歳、マスクをしているしていないに関係なく、顔は大事です。朝顔の理論に続き、「顔の理論」とします。 ’23  7/10  悪志